なぜあなたのスマートフォンは「完璧」ではないのか
朝、スマートフォンの充電が切れかけていることに気づく。「なぜもっと電池が持たないのか」。軽くて薄い筐体を手に取りながら、ふとそう思う。しかしここで立ち止まって考えてみてほしい。もし電池容量を2倍にすれば、重さも2倍近くになり、ポケットに入れて持ち歩くことすら困難になるだろう。高性能なプロセッサは発熱し、冷却のためにさらに厚みが必要になる。防水性能を高めれば、修理の難易度は跳ね上がる。
あなたが手にしているスマートフォンは、決して「未完成」なのではない。それは数千もの制約条件の中で、無数の対立する要求を調整し、何百人ものエンジニアが何年もかけて探し出した、現時点での「最適解」なのだ。
この認識の転換こそが、設計思考を理解する第一歩である。世の中の製品が完璧でないのは、技術が未熟だからでも、企業がケチだからでもない。根本的に、すべてを同時に満たす解など存在しないからだ。
設計空間という多次元の迷宮
一般に「設計」という言葉を聞くと、白紙のキャンバスに自由な発想を描くことを想像するかもしれない。しかし実際の設計は、その正反対の営みである。設計とは、無数の制約に縛られた多次元空間の中で、辛うじて実現可能な一点を探し出す行為なのだ。
工学の世界では、この空間を「設計空間(design space)」と呼ぶ。たとえば自動車の設計であれば、重量・燃費・加速性能・安全性・製造コスト・快適性・耐久性・環境負荷といった、数十から数百のパラメータが織りなす高次元空間が存在する。これらのパラメータは互いに複雑に絡み合い、一つを改善すれば必ず別の何かが犠牲になる。
ここで重要なのは、「最適解」が一つではないという事実だ。数学的には「パレート最適解」と呼ばれる概念がある。これは、ある性能を向上させようとすると必ず別の性能が低下する境界線上に並ぶ解の集合を指す。スポーツカーとファミリーカーは、どちらも「最適」だが、異なる価値観に基づいて設計空間の異なる場所を選んでいるに過ぎない。
では、設計者はどのようにしてこの広大な空間から一点を選び出すのか。ここに、設計の本質的な困難がある。
認知的限界という見えない制約
ノーベル経済学賞を受賞した心理学者ハーバート・サイモンは、「限定合理性(bounded rationality)」という概念を提唱した。人間は完全な情報を持たず、無限の計算能力も持たず、限られた時間の中で判断しなければならない。設計者もまた、この制約から逃れられない。
1940年、アメリカのタコマ橋は、完成からわずか4ヶ月で崩落した。原因は風による共振現象だったが、当時の設計者たちは、橋の「強度」には細心の注意を払っていたものの、「振動」という動的な挙動を十分に考慮していなかった。彼らは無能だったわけではない。単に、設計空間の中に「風による共振」という次元が存在することを、十分に認識していなかっただけなのだ。
これが設計における認識論的限界である。私たちは、自分が知らない制約を考慮することができない。そして歴史は、私たちが「知らなかった制約」によって何度も裏切られてきたことを示している。
トレードオフ―対立から創発へ
トレードオフという言葉は、しばしば「あちらを立てればこちらが立たず」という諦めのニュアンスで使われる。確かに、多くの場合それは事実だ。しかし優れた設計者は、単なる妥協を超えて、対立する要求を同時に満たす「第三の道」を見出すことがある。
航空機の歴史は、この創発的解決の宝庫である。ジェット旅客機の燃費を改善するという課題に対して、1970年代の技術者たちは単純なトレードオフに直面していた。主翼を長くすれば揚抗比が改善され燃費は向上するが、空港での取り回しが悪くなり、構造重量も増加する。ところが1980年代、ボーイング社のエンジニアたちは翼端に小さな垂直板(ウィングレット)を取り付けるという解決策を実用化した。これにより、主翼を延長することなく翼端渦を抑制し、燃費を3〜5%改善することに成功した。
これは単なる「バランス」ではない。システム全体の流体力学的特性を再考することで、重量・コスト・性能という三つの制約を同時にクリアする解を見出したのだ。トレードオフの中に創発的解決の可能性が潜んでいることを、この事例は教えてくれる。
見えないトレードオフ―システムの連鎖
しかし、一つの問題を解決すれば新たな問題が生まれるというのが、複雑システムの宿命でもある。エアコンの冷房能力を向上させれば消費電力が増大し、電力網への負荷が高まり、発電所の増設が必要になり、環境負荷が増大する。一つの製品レベルでの「改善」が、社会システム全体では「悪化」を引き起こすことさえある。
これを工学では「部分最適と全体最適の対立」と呼ぶ。各部品が個別に最適化されても、システム全体が最適になるとは限らない。むしろ、部品間の相互作用を考慮しない最適化は、しばしば予期せぬ不具合を生み出す。
1986年のスペースシャトル・チャレンジャー号の事故は、この典型例である。打ち上げ当日の気温は過去最低だったが、固体ロケットブースターの接合部に使われていたOリングは、低温下でシール性能が低下する可能性が指摘されていた。しかし組織的な意思決定の過程で、この技術的懸念は十分に重視されなかった。「打ち上げスケジュール」という別の最適化目標が、安全性という本来最優先すべき目標を覆してしまったのだ。
ここには技術的トレードオフだけでなく、組織的・政治的トレードオフも絡んでいる。設計判断は、純粋に技術的な領域だけで完結することはない。
リスクの定量化―「安全」を数値で語る困難
「この製品は安全ですか?」という問いに、エンジニアはどう答えるべきか。率直に言えば、絶対的な安全など存在しない。すべての技術にはリスクがある。包丁は人を傷つけ得るし、自動車は事故を起こし得る。問題は、リスクをゼロにすることではなく、社会的に許容可能な水準まで低減することなのだ。
信頼性工学では、リスクを次のように定量化する。
リスク = 発生確率 × 被害の大きさ
航空機事故のように、極めて稀だが致命的な事象と、自動車事故のように比較的頻繁だが個別の被害は限定的な事象では、対策の優先順位が異なる。しかし、この数式には重大な倫理的問題が潜んでいる。「被害の大きさ」をどう数値化するのか。一人の命と百人の命は、本当に百倍の重みを持つのか。
自動運転車の開発で浮上した「トロッコ問題」は、この倫理的ジレンマを先鋭化させた。避けられない事故において、乗員を守るべきか、歩行者を守るべきか。プログラムはどう判断すべきか。これは技術的問題であると同時に、哲学的・法的・社会的問題でもある。
多重防護という設計哲学
リスクをゼロにできない以上、設計者は「壊れることを前提とした設計」を行う。これが多重防護(defense in depth)という考え方だ。
エレベーターは、この思想の優れた実例である。主ケーブルが切れても、複数の独立したケーブルが荷重を支える。それでも全てが断裂した場合、非常停止装置が作動し、かごを機械的に固定する。さらに、かごの下には緩衝装置が設置され、万一の落下時にも衝撃を吸収する。加えて、法定の定期点検により、異常の兆候を事前に検出する。
これらは「絶対に壊れない」という前提ではなく、「必ず壊れる」という前提に基づいている。部品は劣化し、人間は誤操作し、想定外の事態は起こる。だからこそ、一つの防護層が破られても、次の層が機能するように設計されているのだ。
しかしここにも、トレードオフがある。多重防護を徹底すればコストは跳ね上がり、システムは複雑化し、かえって故障の可能性が増すこともある。原子力発電所の設計において、この複雑性の罠は何度も指摘されてきた。2011年の福島第一原発事故では、複数の安全装置が同時に機能を失う「共通原因故障」が発生し、多重防護の限界が露呈した。
製品の一生―ライフサイクルという時間軸
設計は、製品が工場から出荷された瞬間に終わるわけではない。むしろそこから、長い「使用」と「保守」の時間が始まる。そして最終的には、廃棄とリサイクルという終末を迎える。優れた設計は、この全ライフサイクルを見通している。
近年、「修理する権利(Right to Repair)」運動が世界的に広がっている。スマートフォンやノートパソコンが、接着剤で固定され、特殊なネジで封印され、ユーザーや独立修理業者による修理を事実上不可能にしている現状への抗議だ。製造者側の論理は明快である。薄型化・軽量化・防水性能のためには、内部構造の密閉と一体化が不可欠であり、修理可能性を優先すれば製品の魅力が失われる。
ここに、「製品寿命」をめぐる複雑なトレードオフが現れる。修理しやすい設計は環境負荷を減らすが、技術革新のサイクルが速い製品では、修理するよりも新製品に買い替えたほうが、エネルギー効率の観点から環境に優しい場合もある。2010年のエアコンと2020年のエアコンでは、消費電力が半分以下になっているケースもあり、10年間修理し続けるより、買い替えたほうが生涯CO2排出量が少ないという逆説も生じる。
この問題に単純な答えはない。しかし少なくとも、設計者は自らの判断が、製品の一生全体、そして地球環境全体に及ぼす影響を自覚する必要がある。
社会の中の技術―価値対立という政治空間
技術的に優れた設計が、社会的には失敗することがある。原子力発電は、エネルギー密度の高さという点で他のあらゆる発電方式を圧倒している。しかし、福島の事故以降、日本社会はこの技術を受け入れることに深い躊躇を示している。これは技術の問題なのか、それとも社会の問題なのか。
実は、この二分法自体が誤りである。技術は真空の中に存在するのではなく、常に社会の中に埋め込まれている。そして社会には、異なる価値観を持つ多様なステークホルダーが存在する。原子力の場合、電力会社・政府・立地自治体・消費者・将来世代、それぞれが異なる利害と価値観を持ち、「最適解」の定義すら一致しない。
遺伝子編集技術も、同様のジレンマに直面している。CRISPR-Cas9という革新的技術により、遺伝病の根治や農作物の改良が現実的になった。しかし同時に、人間の「設計」可能性という、倫理的・宗教的・哲学的な深淵を開いてしまった。技術者がいくら「安全性」を保証しても、「何が安全か」という問いの答えは、技術的領域を超えて社会全体で決めるべき問題なのだ。
誰が決めるのか―民主主義と専門知
ここで浮上するのが、専門知と民主主義の緊張関係である。複雑な技術的判断を、専門家ではない市民がどこまで理解し、決定に参与できるのか。逆に、専門家に全てを委ねれば、技術決定論的な独裁に陥る危険はないか。
デンマークやオランダでは、「コンセンサス会議」という手法が発展してきた。無作為に選ばれた市民が、専門家から情報を得ながら、技術政策について議論し、提言をまとめる。これは完璧な解決策ではないが、少なくとも「誰が、どのような権限で、何を基準に決定するのか」という手続き的正当性を担保しようとする試みである。
設計判断が単なる技術的最適化を超えて、価値判断であり政治的決定であるならば、そのプロセスの透明性と民主性は、技術の性能と同じくらい重要なのだ。
設計プロセスの設計―メタ・デザインの地平
ここまで、製品の設計について論じてきた。しかし実は、設計プロセス自体も設計の対象である。どのように設計を進めるか、どこまで事前に計画し、どこから試行錯誤に委ねるか。これもまた、トレードオフに満ちた選択なのだ。
伝統的な「ウォーターフォール型開発」は、要求定義から始まり、設計・実装・テスト・運用と順次進行する。計画的で予測可能だが、変化への対応が遅く、最終段階になって致命的な欠陥が発覚するリスクがある。
対照的に「アジャイル開発」は、小さなサイクルを繰り返しながら段階的に完成度を高める。柔軟で変化に強いが、全体の方向性を見失いやすく、技術的負債が蓄積しやすい。
さらに「デザイン思考」は、ユーザーの潜在的ニーズを探索し、試作と実験を繰り返すことを重視する。イノベーションを生みやすいが、時間とコストがかかり、明確なゴールがないまま迷走する危険もある。
いずれの手法も万能ではない。プロジェクトの性質・規模・目的に応じて、適切な手法を選び、時には組み合わせる必要がある。つまり、設計手法の選択自体が、メタレベルの設計判断なのだ。
結び―不完全性との共生
人間が作るものはすべて、不完全である。それは技術の未熟さゆえではなく、世界の本質的な複雑さと、人間の認知的限界の帰結である。あらゆる設計は、無数の制約の中で、対立する要求を調整し、不確実な未来を見据えながら、「現時点での最善」を探る営みに過ぎない。
しかし、この不完全性を認めることは、諦念を意味しない。むしろ逆である。完璧な解など存在しないからこそ、私たちは常により良い解を探し続けることができる。タコマ橋の崩落は、構造動力学という新しい知見を生んだ。チャレンジャー号の悲劇は、組織的意思決定の重要性を浮き彫りにした。福島の事故は、想定外への備えという思想を深化させた。
設計とは、失敗から学び、制約を創造性に変え、対立を対話に転換し、不完全性を受け入れながらも改善を諦めない、永続的な営みである。
そしてこの営みは、エンジニアだけのものではない。私たち一人ひとりが、日々無数の「設計判断」を行っている。仕事の進め方、時間の使い方、人間関係の築き方、すべてが制約の中でのトレードオフである。設計思考を学ぶことは、技術を理解することであると同時に、人生そのものを理解することでもあるのだ。
あなたのスマートフォンが完璧でないのは、この世界が完璧でないからだ。しかしだからこそ、私たちには常に改善の余地があり、対話の必要があり、選択の自由がある。その認識こそが、設計思考が私たちに与える、最も重要な洞察なのである。
参考文献
- Herbert A. Simon, The Sciences of the Artificial (1969)
- Henry Petroski, To Engineer Is Human: The Role of Failure in Successful Design (1985)
- Donald A. Norman, The Design of Everyday Things (1988)
- Nancy Leveson, Engineering a Safer World (2011)
これらの古典的著作は、設計思考の深みを理解するための必読書である。技術の背後にある思考の構造を知ることは、単に製品を理解するだけでなく、現代社会を生きる上での重要なリテラシーとなるだろう。

コメント