畑は社会を支える装置 ― 持続可能な農業をシステムで考える-S5-3-

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農業は「自然と調和する営み」と語られる一方で、農薬や大量生産への批判も絶えません。しかし本当に問うべきなのは、どの農業が善か悪かではなく、どの仕組みが長く機能し続けるかです。本記事では、農薬、有機農業、食料安全保障を一つの農業システムとして捉え、私たちの選択が社会に与える影響を読み解きます。

はじめに

スーパーに並ぶ野菜や果物。それらがどこで、どのように育ち、どんな仕組みで私たちの食卓に届くのか。農業は「土と水と太陽があれば育つ」という単純なものではありません。

本記事では、肥料が植物を育てるメカニズムから、品種改良の技術、気候と作物の関係、そして現代農業が直面する選択まで、農業を一つの「システム」として科学的に読み解きます。善悪の判断ではなく、仕組みの理解を目指す読み物です。

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1. 植物はどうやって育つのか ― 肥料三要素の科学

植物が必要とする三つの栄養素

農業を理解する第一歩は、植物がどのように成長するかを知ることです。植物は光合成で炭水化物を作りますが、それだけでは生きられません。成長には三つの主要栄養素が不可欠です。

窒素(N)は葉や茎を作る材料です。葉緑素とタンパク質の主成分であり、窒素が不足すると葉が黄色くなり成長が止まります。リン(P)は根、花、実を作る材料で、エネルギー代謝(ATP)に関わり、DNAの構成要素でもあります。リンが不足すると、花が咲きにくく実がつきません。カリウム(K)は水分調整と病気への抵抗力を高めます。気孔の開閉をコントロールし、植物体内の物質輸送を助けます。

植物は根から水と養分を吸収し、葉の気孔から水蒸気を放出します。この「蒸散」により、根からの吸水が促進され、養分が植物全体に行き渡ります。真夏の畑では、トウモロコシ1株が1日に数リットルもの水を蒸散させることがあります。

これらは「肥料三要素」と呼ばれ、肥料のパッケージには「N-P-K=8-8-8」のように含有量が表示されています。

自然界の窒素循環と人間の介入

自然界では、窒素は大気中に豊富にありますが、植物はそのまま利用できません。空気中の窒素ガス(N₂)を利用可能な形に変える「窒素固定」が必要で、これを行うのが根粒菌などの微生物です。

マメ科植物が「土を豊かにする」と言われるのは、根に共生する根粒菌が窒素固定を行うためです。伝統的な農業では、田んぼにレンゲを植えるのもこの仕組みを利用しています。

20世紀初頭、ハーバーとボッシュは工業的に窒素固定を行う技術を開発しました。これにより、化学肥料の大量生産が可能になり、世界の穀物生産は劇的に増加しました。現在、世界人口の約半数は化学肥料によって支えられているとも言われます。

しかし、化学肥料の過剰使用には課題もあります。過剰な肥料は土壌から流出し、河川や湖沼の富栄養化を引き起こします。また土壌中の有機物が減少すると、土壌構造が崩れます。良好な土壌は団粒構造を持ち、水はけと保水性を両立しますが、有機物が失われると土が固くなり、根が伸びにくくなります。さらに、肥料の製造には大量のエネルギーが必要です。効率と環境負荷のバランスをどう取るかが、現代農業の重要な課題です。


2. 品種改良の技術 ― 作物はどのように進化してきたか

人類は1万年以上、植物を「改良」してきた

現代の農作物は、野生種とはまったく異なる姿をしています。トウモロコシの原種は小指ほどの小さな穂でしたし、野生のバナナには大きな種がありました。これらは人間が長い時間をかけて選抜を繰り返した結果です。

最も伝統的な方法が固定種(在来種)です。何世代も同じ環境で栽培し、その土地に適した形質を持つ個体を選び続けることで、地域の気候や食文化に適応した品種が生まれます。種を自家採種でき、京野菜や加賀野菜がこの典型例です。

現代の商業農業で主流となっているのがF1種(一代交配種)です。異なる親系統を掛け合わせて作ることで、「雑種強勢」により収量が多く、形が揃い、病気に強い品種が得られます。ただし次世代では形質が分離するため、農家は毎年種を購入する必要があります。

最も新しい技術が遺伝子組み換え作物です。特定の遺伝子を直接導入することで、除草剤耐性、害虫抵抗性、栄養価の向上などが可能になります。日本では栽培は限定的ですが、輸入トウモロコシや大豆の多くは遺伝子組み換えで、家畜飼料や食用油の原料として広く利用されています。

北限・南限を動かす技術

品種改良によって、作物の栽培可能地域は大きく変化してきました。

かつて北海道では、冷害のため米の栽培は困難でした。しかし、耐冷性品種の開発により、今や北海道は日本有数の米産地です。「ゆめぴりか」「ななつぼし」などの食味も高く評価されています。

同様に、さつまいもは南九州の作物というイメージがありますが、現在の最大産地は茨城県です。寒さに強い品種とマルチ栽培(地温を上げる農法)の組み合わせが、これを可能にしました。

品種改良は、自然条件を完全に克服するわけではありません。しかし「適応できる範囲を広げる」技術として、農業の可能性を拡張し続けています。


3. なぜその作物は、そこで育つのか ― 気候と作物の相性

作物にはそれぞれ「好み」がある

作物には、適した気温帯、必要な降水量、日照時間、霜への耐性、土壌の性質など、生理的な制約があります。これが作物分布を決める基本要因です。

日本各地の特産品が生まれた理由

瀬戸内海沿岸でオリーブが育つのは、降水量が少なく冬が穏やかな気候のためです。過湿と寒さを嫌う地中海原産のオリーブにとって、この地域は日本では例外的に適した環境となっています。

静岡が茶の産地として知られるのは、温暖で雨が多く、霧が発生しやすい気候が理由です。霧は直射日光を和らげ、茶葉のアミノ酸(うま味成分)を増やす効果があります。

山梨がぶどうの産地となったのは、少雨で昼夜の寒暖差が大きい内陸盆地という環境によります。多湿に弱いぶどうにとって、病気が出にくく糖度が上がる理想的な条件が揃っているのです。

青森でりんごが盛んに栽培されるのは、冬の低温が確実に訪れる気候が理由です。りんごは一定期間の寒さがないと花芽を作れないため、寒さは障害ではなく必要条件となります。この「低温要求性」が、りんごの北限を決める重要な要因です。

都市近郊農業という別の論理

すべての作物が「気候最適地」で作られるわけではありません。

葉物野菜(小松菜、ほうれん草)、牛乳、花などは、鮮度が重要なため、市場に近い場所で生産されます。東京・大阪周辺の野菜生産では、気候よりも「市場への距離」が決定的要因になります。


4. 日長と季節 ― 農業の最上流にある天文学

植物は「夜の長さ」を測っている

植物は温度だけでなく、日長(昼と夜の長さ)によって生育段階を判断します。これを「光周性」と呼びます。

植物は大きく三つのタイプに分けられます。短日植物は夜が長くなると花をつける性質を持ち、米、大豆、菊などがこれに当たります。逆に長日植物は夜が短くなると花をつけ、麦、ほうれん草、レタスなどが該当します。中性植物は日長にあまり依存せず、トマトやきゅうりがこの例です。

この性質は、植物が季節を感知する仕組みとして機能しています。北海道で米が育つのは、夏至付近の極端に長い日照が光合成を補うためです。逆に、沖縄では日長変化が小さいため、二期作が可能になります。

農業暦は天文学の応用

「八十八夜」は立春から88日目で、遅霜のリスクが下がる目安。茶摘みの適期を示します。「二十四節気」も太陽の動きを農作業に翻訳したものです。

現代でも、人工照明で日長を調整し、開花時期をコントロールする技術が使われています。クリスマス用のポインセチアや、年中出荷できる菊栽培などがその例です。


5. 農薬という技術 ― 何を制御し、何を生み出すか

農薬の役割と種類

農薬は、害虫、病原菌、雑草など「作物の生育を妨げる要素」を制御する技術です。殺虫剤は害虫の神経系や代謝を阻害し、殺菌剤は病原菌の細胞壁合成や呼吸を阻害します。除草剤は雑草の光合成や細胞分裂を阻害することで効果を発揮します。

農薬なしでは、病害虫により収量が30〜50%減少すると推定されています。また、食品の保存性が低下し、食中毒のリスクも高まります。

予期せぬ波及効果

一方で、農薬使用には複雑な問題があります。

2000年代以降、世界各地でミツバチの大量死が報告されました。原因の一つとされるのが、ネオニコチノイド系農薬です。害虫だけでなく、花粉を運ぶミツバチにも影響を与えたのです。

また、同じ農薬を繰り返し使うと、耐性を持つ害虫が進化します。これは自然選択の結果で、より強力な農薬開発という「軍拡競争」を生みます。

リスクとベネフィットのバランス

農薬は「悪」でも「絶対安全」でもありません。重要なのは、使用量、使用方法、残留基準の管理です。

日本では、農薬ごとに作物別の残留基準値が設定され、市場に出る前に検査されています。基準値は、人が一生涯毎日摂取しても健康に影響がない量(ADI:一日摂取許容量)の数分の一に設定されています。


6. 有機農業と慣行農業 ― それぞれの役割

有機農業とは何か

有機農業は、化学肥料や化学合成農薬を使わず、堆肥や有機質肥料、生物農薬を使う農法です。土壌の健全性を保ち、環境負荷を減らす利点があります。

ただし、収量は慣行農業より20〜40%程度低く、労働時間は1.5〜2倍かかる傾向があります。また「有機農薬」は使用可能で、完全な無農薬ではありません。

江戸時代の循環農業

江戸時代の農業は、人糞尿を肥料とし、草木灰や魚肥を活用する循環型でした。しかし、気候変動や病害虫に対する有効な対策がなく、飢饉が頻発しました。天明の大飢饉(1782-1788年)では、推定数十万人が餓死したとされます。

緑の革命の功績

20世紀半ば、化学肥料と改良品種を組み合わせた「緑の革命」により、世界の穀物生産は飛躍的に増加し、何億人もの人々が飢餓から救われました。

一方で、土壌劣化、地下水汚染、生物多様性の減少という環境問題も生じました。

役割分担という視点

有機農業と慣行農業は、対立するものではなく、それぞれ異なる役割を担います。有機農業は環境負荷を減らし、多様性を保つ役割を果たします。一方、慣行農業は大量供給を支え、価格を安定させる基盤となっています。

日本の食料自給率は約46%(2023年度)です。全農地を有機農業に転換すれば、収量減により自給率はさらに低下することが予想されます。都市近郊では有機農業を推進し、大規模生産地では慣行農業で供給を支える――このような組み合わせが、現実的な選択肢です。


7. 食料安全保障 ― 安さと安定のトレードオフ

輸入依存のリスク

日本の食料自給率46%という数字は、平時には問題なく機能しています。安価な輸入穀物により、消費者は低価格で食品を手に入れられます。

しかし2022年のウクライナ侵攻では、小麦の国際価格が急騰しました。また、中国の経済成長により、世界の穀物需要は今後も増加すると見込まれています。「いつでも買える」という前提は、必ずしも盤石ではありません。

国内生産を守るコスト

では国内生産を増やせば良いのか――これも単純ではありません。

日本の農業従事者の平均年齢は約68歳(2023年時点)。高齢化と後継者不足により、耕作放棄地は年々増加しています。また、日本の農地は狭小で機械化が難しく、生産コストが高い。米国やオーストラリアの大規模農業とは価格競争できません。

国内生産を維持するには、補助金や関税が必要ですが、それは消費者の負担増を意味します。

安い輸入食料に依存するか、高くても国内生産を支えるか――これは経済合理性と国家安全保障のバランスの問題です。


8. 農業システムの全体像

農業は、複数の要素が相互に関連するシステムです。

まず自然条件として、気候、地形、土壌、日長が作物の基本的な適地を決定します。これを基盤として、植物生理のプロセスが働きます。光合成、蒸散、養分吸収、光周性などの生物学的な仕組みが、作物の成長を支えています。

人間の介入として、肥料が窒素・リン・カリウムを供給し成長を促進しますが、過剰使用は環境負荷を生みます。品種改良は、固定種、F1種、遺伝子組み換えといった手法により、作物の適応範囲を拡大してきました。農薬は病害虫を制御しますが、生態系への影響と耐性問題という課題も抱えています。

さらに栽培技術として、マルチ、灌漑、温室などが環境を調整し、流通・市場の仕組みが、都市近郊農業や輸送技術を通じて立地を決めます。そして社会制度が、補助金、関税、規制を通じて農業の形を方向づけています。

これらは単独では機能せず、相互に影響し合っています。一つの要素を変えれば、システム全体が変化します。


9. 持続可能性とは何か ― 効率と安定のバランス

冗長性という「見えない保険」

効率を追求すれば、単一品種の大規模栽培が最適です。しかし、ある病害虫が発生すれば、一気に広がります。アイルランドのジャガイモ飢饉(1845-1849年)は、単一品種への依存が疫病の大流行を招いた歴史的教訓です。

持続可能なシステムには、一見無駄に見える「余剰」が組み込まれています。複数の品種を栽培すること、複数の供給源を持つこと、在来品種を保存すること、小規模生産者を維持すること――これらは平時には「非効率」ですが、非常時には社会を守る保険として機能します。

在来品種という遺伝資源

京野菜、加賀野菜などの在来品種は、収量では不利ですが、その土地の気候に適応した貴重な遺伝資源です。気候変動が進む中、これらは将来の品種改良の材料として重要性を増しています。

持続可能性とは、短期的な効率を多少犠牲にしてでも、長期的な安定性を確保する設計思想なのです。


10. 日常の判断はどう変わるか

システム思考で見る食卓

この視点を持つと、日常の選択が変わります。「有機か慣行か」という二者択一ではなく、それぞれの役割を理解することが重要です。「国産だから安心」と単純に考えるのではなく、供給の多様性を意識する必要があります。そして「安いから選ぶ」だけでなく、その価格が何を反映しているかを考えることが求められます。

スーパーの野菜一つにも、気候、品種、肥料、農薬、流通、補助金、国際情勢が関わっています。私たちが食べるものは、巨大なシステムの末端にあります。

科学的に考えるということ

科学的思考とは、善悪を断じることではありません。仕組みを理解し、トレードオフを認識し、バランスを考えることです。

農業に完璧な解はありません。しかし、システムとして理解することで、より良い選択ができるようになります。


結論:畑の上には、複数のスケールがある

農業は、複数のスケールが重なり合うシステムです。

最も小さなスケールでは、肥料三要素、光合成、代謝といった分子レベルの現象があります。個体レベルでは植物の生理と品種改良が働き、生態系レベルでは害虫、天敵、ミツバチといった生物間の相互作用が展開します。

より大きなスケールでは、地域レベルの気候、地形、土壌が作物の適地を決め、地球レベルでは日長、季節、気候システムが農業の大枠を規定します。社会レベルでは市場、流通、政策が農業の形を作り、そして個人レベルでは毎日の食卓での選択がシステム全体に影響を与えます。

これらすべてが連動して、私たちの「食」を支えています。

畑は単なる生産現場ではありません。それは、自然科学、技術、経済、政治、文化が交差する、社会を支える装置なのです。


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