間違いと失敗が科学技術を前進させてきた歴史

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私たちは無意識に「正解」を求めます。しかし、科学技術も、はじめから間違いをおかさなかったわけではないのです。

科学と産業の歴史を振り返れば、今の私たちの安全で便利な生活は、数多の「失敗」の上に築かれていることがわかります。

失敗は、知識不足(当時の技術では測定できなかった)、想定外(前提条件を超える事象が起きた)、分業による視野欠落(専門化が全体像を見えなくした)、経験の継承断絶(記録が残らず、同じ失敗を繰り返した)といった構造的要因から生じます。

これらの失敗を個人のミスとして片付けるのではなく、構造的な問題として分析し間違いを修正しながら進んだのです。


仮説の変遷

科学は、仮説を使いながら、その限界を認識し、より広い範囲に適用できる仮説へと更新してきた営みです。

天動説

プトレマイオスの天動説は、当時の観測精度では十分に機能した。

観測精度が上がるにつれ、周転円の上にさらに周転円を重ねる必要が生じ、モデルは肥大化していった。やがて予測力が限界に達し、より単純で予測力の高いモデル(地動説)が登場した時、天動説は置き換えられた。

永久機関

中世から近代初期にかけて、無限に動き続ける機械の設計が数多く試みられた。摩擦や熱損失という概念が十分に理解されておらず、エネルギー保存則が確立する以前の時代である。機械的な工夫で「入力以上の出力」が得られると考えることは、当時としては不合理ではなかった。

19世紀に熱力学が確立し、エネルギー保存則とエントロピー増大則が明確になると、永久機関の不可能性が証明された。どんな巧妙な設計でも、系全体ではエネルギーは保存され、利用可能なエネルギーは必ず減少する。

永久機関の探求は無駄ではなかった。その過程で、摩擦、熱損失、エネルギー変換効率という概念が洗練され、熱力学という学問体系が生まれた。不可能性の証明そのものが、科学を前進させたのである。


錬金術

金属は「成長・変質するもの」と考えられていた。実際、精製や合金化の技術は存在し、色・比重・反応の観察に基づく体系的な試みが行われていた。元素という概念がなかった時代、物質の変換は理論的に可能と考えられた。

原子や元素という基本概念が存在せず、再現性や定量性という科学的手法も確立していなかった。しかし、この「失敗」の過程で、蒸留装置、実験操作、物質分類という、後の化学の基礎となる技術と知識が蓄積されていった。

錬金術は、目的こそ達成できなかったが、誤った仮説に基づく実験が、正しい実験手法を生み出したのである。科学・技術・数学の文明史においても、錬金術は化学への重要な橋渡しとして位置づけられる。

エーテル仮説

19世紀、光は波であることが確認されていた。波には媒質が必要である。音には空気、水波には水。ならば光にも媒質があるはずだ。それが「エーテル」である。

エーテル仮説は間違っていたのではない。当時の観測技術では検出できなかっただけである。技術が進歩し、より精密な実験が可能になったとき、仮説と現実の矛盾が明らかになった。これは仮説の誤りではなく、仮説が想定していた条件の限界が見えたということである。


ポリマー

19世紀末から20世紀初頭、天然ゴムやタンパク質などの高分子物質は、小分子が物理的に凝集しただけの「コロイド」と考えられていた。「巨大な分子」という概念そのものが信じられなかった。

ヘルマン・シュタウディンガーは1920年代から、粘度測定や化学分析を重ね、これらが共有結合でつながった巨大分子であることを主張し続けた。当初は激しく批判されたが、実験的証拠を積み重ね、1953年にノーベル化学賞を受賞した。

当時、分子構造を直接観察する手段は存在しなかった。また、「分子は小さいもの」という既存の理論枠組みが強固で、それを超える概念を受け入れることが困難だった。観測技術の限界と、理論への過度な依存が重なったのである。


プリオン

「感染には核酸(DNAまたはRNA)が必要である」というのが、20世紀中盤の確立した理論だった。しかし、スタンリー・プルシナー(1982年)は、「タンパク質だけで感染する病原体」の存在を提唱した。科学界は懐疑的だった。しかし、実験事実は理論を書き換えた。

既存の理論枠組みは、新しい現象を見えなくする。理論への過度な依存が、仮説の更新を遅らせる。科学とは何だろうか?で論じたように、科学は「反証可能性」を持つことで進化する。プリオンの発見は、この原則の実例である。


第4部:産業化の失敗――技術的可能と経済的成立の溝

科学的には正しくても、産業的には失敗する。

人工石油――技術的可能と経済的成立の溝

石炭から一酸化炭素と水素を作り、触媒反応で液体燃料を合成する。フィッシャー・トロプシュ法の化学的原理そのものに誤りはない。実際、第二次世界大戦中のドイツでは稼働し、現代でも南アフリカのSasol社などで実用化されている。

技術的には成立していても、経済性が天然石油に対抗できなかった。エネルギー効率が低く、大規模プラントの建設・運用コストが高い。安価な石油が入手できる状況では、産業として成立しにくかった。ここで重要なのは、「技術的に可能」と「産業的に成立」が別の評価軸だという点である。研究室での成功は、市場での成功を保証しない。条件が変われば、評価は反転する。

現代の水素社会や合成燃料の議論でも、同じ構造の問題が繰り返されている。技術の完成度だけでなく、経済性、インフラ、社会受容性という多層的な条件を満たす必要がある。


化学肥料・農薬――成功技術の過信と運用の失敗

化学肥料と農薬は、20世紀の農業生産を劇的に向上させた。飢餓を回避し、収量を安定させ、世界人口の増加を支えた。技術そのものは有効であり、現在も適切に管理されれば重要な役割を果たしている。

問題は技術ではなく、その使い方にあった。初期の導入段階では、「より多く使えば、より良い結果が得られる」という単純な発想が支配的だった。長期的影響への配慮が不足し、土壌劣化、地下水汚染といった問題が数十年という時間スケールで顕在化した。

ここには三つの構造的問題がある:

  1. 時間軸の見落とし:実験室や短期試験では見えない長期影響を軽視した
  2. 複雑系の単純化:生態系という相互作用の網を、単一変数の問題として扱った
  3. 適用範囲の拡大解釈:「適量であれば有効」を「多ければより良い」にすり替えた

現代では、総合的な環境影響評価(LCA)、適正使用量の科学的設定、長期モニタリング体制など、失敗から学んだ仕組みが整備されつつある。

工学的失敗――「わかっていたはず」の崩壊

タコマナローズ橋の崩壊(1940年)

ワシントン州のタコマナローズ橋は、開通からわずか4ヶ月で強風により崩壊した。橋は風に煽られ、激しく上下に波打ち、やがて捻れ、崩落した。

当時の「正しい」前提

橋の耐荷重計算は完璧だった。風荷重も考慮されており、静的な力学計算では十分に安全と判断されていた。当時の工学知識の範囲内では、設計に問題はなかった。

何が見落とされていたか

見落とされていたのは、共振現象と空気力学的な振動(フラッター)である。橋は単なる静的な構造物ではなく、風という流体と相互作用する動的なシステムだった。理論的に「安定」と計算されていても、非線形な現実系では予測外の挙動が生じる。

失敗が生んだもの

この崩壊は悲劇だったが、空力弾性学という新しい学問分野を生んだ。現代の橋梁設計では、風洞実験が必須となり、振動解析が標準化された。


ダム崩壊と構造物事故

共通する失敗のパターン

構造物事故の多くに共通するのは、設計時の想定条件が限定的だったことである。「最大級」ではなく「過去に記録された最大」を基準とし、それを超える事象を想定外としてしまう。しかし、自然は設計図を読まない。人間が決めた前提条件を超えて、現象は起きる。

教訓

安全率とは、単なる余裕ではない。未知を織り込むための思想である。しかし、未知の範囲を正しく認識していなければ、どれほど大きな安全率を設定しても無意味になる。重要なのは、「わかっていないこと」を認識し続けることである。


自然災害―「想定」という名の失敗

津波・地震災害の教訓

科学的モデルによる津波予測は精緻化されてきた。しかし、過去には「予測できた」はずの災害が繰り返された。

科学的モデルそのものに問題があったわけではない。問題は、過去記録を軽視したことにある。「ここ100年では起きていない」という安心感が、より長期的な記録を無視させた。また、津波碑の存在を知りながら、その意味を真剣に受け止めず開発を進めた事例もある。さらに、「M8.0までを想定」という条件設定が、いつの間にか「M8.0を超えることはない」という誤った確信にすり替わっていく。

三陸地方に残る津波碑は、科学以前の失敗知の保存装置である。「ここより下に家を建てるな」という碑文は、測定機器がなかった時代の経験則であり、現代の科学モデルを補完する。


失敗の「型」――共通する構造

工学事故、災害、科学仮説、産業化。これらに共通する失敗のパターンが存在する。

生存バイアス型

事例:帰還した戦闘機の損傷分布

第二次世界大戦中、帰還した戦闘機の被弾箇所を調査した。翼や胴体に集中していた。

誤った結論

「被弾が多い場所を装甲強化すべき」

被弾しても帰還できた箇所である。本当に守るべきは、被弾したら帰ってこなかった場所(エンジン、操縦席)である。統計学者エイブラハム・ウォルドがこの盲点を指摘し、正しい対策が取られた。

失敗学的教訓

見えているデータは生存者のデータである。見えない失敗こそ重要である。これは、ダム事故(崩壊しなかったダムだけを分析しても不十分)、医療評価(生存者の治療効果だけでは評価できない)、研究不正の調査(発覚した事例だけが全体ではない)にも直結する。


前提条件の脱落型

構造

実験条件では成功した技術が、実環境では想定外の問題を起こす。実験室と現実の間には、時間軸、規模、複雑性という大きな溝がある。

事例:化学肥料の実環境適用

実験条件では成功したが、実環境では想定外の問題が生じた。実験室と現実の畑では時間軸が異なり、生態系という複雑系の相互作用を十分に考慮していなかった。実験条件という境界条件を、現実環境に外挿しすぎたのである。

失敗学的教訓

「実験室で成功=現実で成功」ではない。前提条件を明示し、適用範囲を厳密に把握することが必須である。


精神論代替型

事例:太平洋戦争における戦力分析の放棄

1944年時点で、日米の工業生産力は圧倒的な差があった。航空機生産数(日本約28,000機/年 vs 米国約96,000機/年)、艦船建造能力、石油備蓄量——すべてが数値で示されていた。しかし、この客観的データは「大和魂」「一億玉砕」「神風が吹く」といった精神論で覆い隠された。

構造

現実の不利(技術差、物量差)を直視できず、「気合」「覚悟」「精神力」といった定量化できない要素で補おうとする。これは、数値的に測定可能な問題を、測定不能な領域にすり替える行為である。

失敗学的解釈

精神論は検証も反証もできない。つまり、科学的な問題解決の枠組みから離脱することを意味する。客観的な仮説が破綻したとき、主観的な説明に逃げることで、本質的な問題の分析と修正が遅れる。

現代の組織でも「気合で乗り切る」「頑張れば何とかなる」という発想は、構造的問題から目を背ける危険なパターンである。納期遅延、品質問題、人員不足—これらは精神論では解決しない。


失敗を「悪」にする瞬間

失敗そのものは悪ではない。しかし、失敗を隠し、記録を残さず、データを改ざんする。構造的問題を個人の責任に押し付ける。分析せず、再発防止策を作らない。次世代に継承しない。このように扱うとき、失敗は社会的な失敗へと変質する。

失敗を悪化させる組織文化

  • 失敗の報告を罰する文化(報告が減り、隠蔽が増える)
  • 個人の責任追及で終わる文化(構造的問題が放置される)
  • 成功体験への過度な依存(変化への適応が遅れる)
  • 前例主義(新しい失敗パターンに対応できない)

失敗から学ぶ組織の条件

  • 失敗の早期報告を奨励する仕組み
  • 「誰が」ではなく「なぜ」を問う分析文化
  • 記録と共有のシステム化
  • 定期的な前提条件の見直し

まとめ

日本の産業史を見ても、戦後の社会実装を振り返っても、成功の裏には無数の試行錯誤がある。

科学も、工学も、産業も、戦争判断も、すべて同じ構造を持つ:

  1. 仮説がある
  2. 成功体験がある
  3. 例外データを無視する
  4. 都合の良い説明に逃げる
  5. 修正が遅れる
  6. 破局が起きる

しかし、この破局から学べる者だけが、次のステージに進める。

私たち一人ひとりができること

  • 自分の仮説(思い込み)を言語化し、検証可能にする
  • 失敗を恥ではなく「データ」として記録する
  • 他者の失敗を責めるのではなく、構造を分析する
  • 成功体験に固執せず、前提条件の変化に敏感になる
  • 「わかっていないこと」を認識し続ける

このブログが扱う科学リテラシーとは、正解を知ることではない。間違える方法を知り、修正する技術を身につけることである。


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