天気と地震の予知とその限界

この記事は約10分で読めます。

「なぜ、これほど技術が進歩しても地震の発生をピタリと当てられないのか?」 「天気予報は、あとどれくらい正確になる可能性があるのか?」

私たちは、科学に対して「未来を正確に言い当てる魔法」のような期待を抱きがちです。しかし、地球や宇宙という巨大なシステムを相手にする時、科学が示すのは「絶対的な正解」ではなく「確率と不確実性」という現実です。

本記事では、地震、気象、そして天体観測という3つの視点から、人類がいかにして地球を測り、未来を読もうとしてきたのかを解説します。


天文学と測位技術の誕生

私たちは地球の上に立ち、空を見上げ、足元を掘り、過去を振り返ります。しかし、地球を外から眺めたことのある人間はほとんどいません。それでも人類は、地球の大きさを測り、天体の運行を予測できます。

なぜでしょうか。

答えは「相対的に測る」という発想にあります。自分の位置を動かさずとも、異なる場所での観測を比較し、角度と時間の関係を計算し、繰り返す現象のパターンを記録することで、人類は世界を数値化し、座標として把握してきました。

天文学──星を読む技術の成立

天文学と航海の関係は、大航海時代よりはるか以前から存在していました。

  • 古代ギリシャ:天球の概念、恒星の運行の理解
  • イスラーム世界(8〜13世紀):アストロラーベの改良、天文表の作成、航海術への応用
  • 中世ヨーロッパ(13〜15世紀):イスラーム天文学の受容、航海への実用化

15世紀になると、これらの知識が統合され、外洋航海に耐える実用的な測位技術として確立します。

緯度測定の原理

緯度を測る基本原理は単純です。

  • 北半球では、北極星の高度 ≒ その地点の緯度(北極星は天の北極から約0.7度ずれているため、精密測量では補正が必要)
  • 太陽の南中高度から緯度を逆算(季節による太陽高度の変化を航海暦で補正)

この原理自体は古くから知られていましたが、揺れる船上で正確に測定する技術が必要でした。

羅針盤──方位の安定化

羅針盤(磁気コンパス)は、12〜13世紀に中国からヨーロッパへ伝わりました。これにより、曇天でも方位を維持できるようになります。

羅針盤と緯度測定を組み合わせることで、「この緯度を保って西(または東)へ進む」という航海法が可能になりました。


航海術の実践──世界を測る技術

ポルトガルの航海事業

15世紀前半、ポルトガルのエンリケ航海王子(1394-1460)は、アフリカ沿岸探検を組織的に推進しました。これは単なる探検ではなく、航海技術の体系的な蓄積でした。

  • 1488年:バルトロメウ・ディアス(ポルトガル)が喜望峰到達
  • 1498年:ヴァスコ・ダ・ガマ(ポルトガル)がインド・カリカットに到達

これは天文航海術なしには不可能でした。

コロンブスの大西洋横断

1492年、イタリア出身のクリストファー・コロンブスが、スペイン王室の支援を受けて大西洋を横断しました。

コロンブスは、緯度を維持しながら西へ進むという航海法を用いました。彼はアジアに到達したと信じましたが、実際には新大陸に上陸していました。重要なのは、彼が帰路も同じ緯度航海法で無事に帰還したことです。

技術的裏付けがあったからこそ、未知の海域への航海が可能でした。

マゼランの世界周航

1519-1522年、ポルトガル出身のフェルディナンド・マゼラン(スペイン王室の支援)が率いた船団が史上初の世界周航を達成しました。

マゼラン自身はフィリピンで死亡しましたが、セバスティアン・エルカーノ率いる残存船団がスペインに帰還し、地球が球体であることを実証しました。

この偉業は、緯度測定技術に支えられていましたが、経度測定はまだ不正確でした。

経度問題──18世紀の技術的飛躍

緯度は天体の高度から直接求められますが、経度は時間差を測る必要があります

  • 地球は24時間で360度自転する
  • つまり1時間で15度移動する
  • 出発地の時刻と現在地の時刻の差から経度を計算できる

問題は、揺れる船上で長期間正確な時刻を保つ時計がなかったことです。当時の振り子時計は船上では使えませんでした。

1760年代、イギリスの時計職人ジョン・ハリソンが、海上でも正確な時刻を保つクロノメーター(精密時計)を実用化しました。これにより、経度測定が実用化され、世界は精密な座標系として把握できるようになりました。


測量技術の展開──世界を三角形で理解する

測量の本質は、直接行けない場所の距離を、角度から計算することにあります。三角法は、一辺の長さと二つの角度が分かれば、残りの辺の長さを求められるという、極めて抽象的な数学の原理です。しかしこの抽象は、山の高さ、川の幅、島までの距離といった、現実の世界を測るための強力な道具となりました。

古代ギリシャのエラトステネスは、異なる緯度における太陽高度の差と、その二地点間の距離から、地球の円周を計算しました。彼は地球を外から眺めたわけではありません。地面に立ったまま、異なる場所の観測結果を比較することで、地球の大きさを導き出したのです。科学とは、視点を物理的に移動させることではなく、相対的な関係を思考の中で組み替える営みなのです。

国土測量では、まず基線と呼ばれる一本の線を、可能な限り正確に測定します。次に、その両端から周囲の地点への角度を測り、三角形を次々につなげていきます。こうして三角網を広げることで、直接測れない距離も計算で求められます。日本の近代測量も、明治時代に基線を定め、全国に三角点を設置することで進められました。地球表面は、無数の三角形の集合として理解されたのです。

航海術から陸上測量へ

天文学に基づく位置測定技術は、海洋だけでなく陸上へも適用されました。

三角測量は、天文観測で得た基準点から、三角法によって広域の地図を作成する技術です。18〜19世紀にかけて、ヨーロッパ各国で国土の精密測量が行われました。19世紀 伊能忠敬が天文観測と測量を組み合わせて日本地図を作成しています。

近代国家の成立には、国境画定、地籍調査(土地所有の記録)、都市計画など、すべて測量技術が不可欠で天文学はその基盤でした。

ポルトガルやスペインが航海図を国家機密として厳重に管理したのは、それが軍事的・経済的優位性の源泉だったからです。

現代への連続性──人工衛星とGPS

GPS(全地球測位システム)は、1970年代にアメリカ国防総省が開発し、1990年代に民間開放されました。

GPS衛星は、人工的に作られた「星」。地球を周回する約30基の衛星が正確な時刻信号を発信し、受信機はその時間差から位置を計算します。

原理は大航海時代の天文航海術と本質的に同じです:

  • 天体(衛星)の位置が既知
  • 観測(信号受信)から自分の位置を計算

精度は数センチメートルにまで達し、現代社会の基盤インフラとなっています。

日本は独自の衛星測位システム「みちびき」(準天頂衛星システム、QZSS)を運用しています。これはGPSを補完・補強し、日本上空で高精度な測位を可能にします。


災害記録と社会的記憶

地震や津波は突発的な災害として語られがちですが、地球科学の視点では長い時間軸で繰り返されてきた自然現象です。その痕跡は、近代の観測記録だけでなく、災害史・地質・伝承の中に多層的に残されています。

しかし、地震や津波の再来間隔は数百〜数千年に及ぶことが多く、観測記録だけでは不十分です。そのため、以前の災害(先史時代の地質記録)をどう扱うかが、地球科学では重要な課題となります。

津波警告岩・碑文――石に刻まれた防災知

日本各地の沿岸には、「ここより下に家を建てるな」「大津波来襲之地」と刻まれた津波警告岩(津波碑)が存在します。これらは単なる慰霊碑ではなく、過去の被害範囲を示す実地のハザードマップでもあります。

津波碑が示す情報は:

  • 津波の到達高度
  • 浸水範囲
  • 人が「危険だ」と判断した境界線

であり、現代の津波堆積物調査や数値モデルと照合することで、過去の津波規模を裏づける証拠となります。

神社・寺院の立地――災害地形の「選別結果」

古くから残る沿岸神社の中には、津波浸水域の外、崖上・段丘上、安定した地盤に立地しているものが目立ちます。

ただし、これには生存バイアス(残ったものだけを見ている)という問題があります。実際には浸水域内に建てられた神社も多数存在しましたが、津波で流されて記録に残らなかった可能性があります。

それでも、現存する古社の立地を地質図・標高図と重ね合わせると、長い時間を通じた経験的選択の痕跡として、過去の浸水域、地盤の安定性、集落移動の履歴を読み取れる場合があり、人間活動と地形の関係を示す情報として活用できます。

津波堆積物――イベント層が語る過去の災害

津波堆積物は、特定の災害イベントの痕跡を残す地層です。津波によって運ばれた海の砂が内陸部に堆積したもので、粒度分析や年代測定により過去の津波の規模や発生時期を推定できます。

東日本大震災後の調査では、貞観地震(869年)や慶長地震(1611年)など、歴史記録に残る津波の堆積物が確認され、文献史料と地質学的証拠が一致することが実証されました。

地質記録は、文字記録が存在しない時代の災害も明らかにすることができます。実際、貞観地震より古い時代にも同規模の津波が繰り返し発生していたことが、堆積物の調査から判明しています。

地震予測――天気とは違う難しさ

現代では、GPS、地殻変動観測、プレートの歪み計算によって、エネルギーが蓄積していることまでは分かります。

しかし、現時点の科学では「いつ・どの規模で」発生するかを特定することは困難です。地震発生の直前予知は、現在の技術では実現していません。

現代のハザードマップは、主に以下を基に作られています:

  • 過去数十〜百年程度の観測記録
  • 活断層調査(トレンチ調査など)
  • 津波堆積物などの地質学的証拠(数千年単位のデータ)
  • 数値シミュレーション

気候を予測する

人類は古くから、自然を予測しようとしてきました。それは未来を当てるためというより、生き延びるためでした。

  • 雨は降るか
  • 海は荒れるか
  • 地震は来るか

予測は、科学以前から人間社会に存在していました。

「夕焼けは晴れ、朝焼けは雨」という言い伝えは、単なる迷信ではありません。

中緯度地域の偏西風帯では、天気は西から東へ移動する傾向があるため、夕焼け=西の空が晴れている=翌日も晴れやすいという気圧配置と雲の動きの経験的把握が背景にあります。ただし、季節や地域によって例外も多く、あくまで目安の一つです。

多くの天気の言い伝えは、雲の形、風向、湿度、気圧変化を、定量化できない時代の言葉で記述したものでした。これは「非数値データによる統計」です。

暦は単なる日付表ではありません。太陽の運行、季節の変化、農作業の時期、雨季・乾季を結びつけた、長期気象予測の装置でした。太陰太陽暦や二十四節気は、天体の周期と地上の気候を結びつけた最初の予測モデルと言えます。

統計という飛躍――個別事象から確率へ

近代科学は、自然現象を「当たる/当たらない」から「確率で扱う」方向へ転換しました。

天気予報は、「明日雨が降る」ではなく「降水確率30%」と表現されます。これは未来が一意に決まらないことを前提にした科学的態度です。

人工衛星により、雲の分布、海面温度、水蒸気量、風の流れが地球規模で同時に観測できるようになりました。

これは、航海術で天体を基準に位置を測ったのと同じく、地球を外から相対的に見る視点の獲得でした。

観測データは、スーパーコンピュータで解析されます。大気の流体力学、熱の移動、地球の自転効果(コリオリ力)を数値モデルとして解くことで、数日先の天気予報が可能になりました。この背景には、情報技術の発展があります。

海流と気候――エルニーニョという典型例

気候は大気だけでは決まりません。海流が巨大な熱の貯蔵庫として働きます。

エルニーニョ現象

エルニーニョ現象は、太平洋赤道域における海洋と大気の相互作用によって引き起こされる、数年周期の気候変動です。通常、太平洋では貿易風が東から西へ吹き、表層の暖かい海水を西側へ運びます。しかしエルニーニョ時には、この貿易風が弱まり、西側に蓄積されていた暖水が東側へ広がります。

その結果:

  • 東太平洋(ペルー沖など)で海面水温が平年より2〜3℃以上上昇
  • 大気循環パターンが変化(ウォーカー循環の弱化)
  • 世界各地で異常気象が発生(南米で多雨、東南アジア・オーストラリアで干ばつなど)

複雑系としての自然――予測の限界

  • 天気:短期(数日)、初期条件に強く依存、カオス的性質により2週間程度が予測限界
  • 気候:長期(年〜十年)、統計的傾向が扱える

予測可能性は、対象によって本質的に異なります

自然は複雑系(多くの要素が相互作用し、全体としての振る舞いが個々の要素からは予測困難なシステム)です。

  • 微小な差が大きな結果を生む(バタフライ効果)
  • 完全な初期条件は測れない
  • 計算能力にも限界がある

これは科学の失敗ではありません。限界を理解すること自体が科学の成果です。

現代の気象予測では、この不確実性に対処するため、アンサンブル予報(初期条件を少しずつ変えた複数のシミュレーションを実行し、予測のばらつきから不確実性を評価する手法)が用いられています。


結論:測ることと記憶すること――科学における「予測」とは何か

予測は未来を当てる魔法ではありません。不確実性を減らす技術です。

  • 伝承 → 統計 → 数理モデルへと進化してきた
  • 予測できる範囲と、できない範囲がある
  • それを区別できることが科学リテラシーである

予測が可能になったことは、科学の一つの到達点です。しかし、すべてを予測できないと理解したこともまた、科学の到達点です。

そして、測ることと記憶することは、切り離せません。科学は新しい知識を生みますが、文化はそれを保存します。

測ることで世界を理解し、記憶することで未来に備える。これが、人類が地球という惑星の上で生き延びてきた、そしてこれからも生き延びていくための知恵なのです。


関連記事


コメント

タイトルとURLをコピーしました