「総論賛成、各論反対」
「原子力発電所は必要だと思う。ただ、うちの近くには建てないでほしい」「ゴミ処理場は社会に不可欠だ。でも、うちの地域には絶対反対」
このような主張を、英語ではNIMBY(Not In My Back Yard)と呼ぶ。「自分の裏庭には置くな」という意味の頭字語であり、日本語では「総論賛成・各論反対」と揶揄されることが多い。
現代社会では、原子力発電所、廃棄物処理場、火葬場、刑務所、米軍基地などの施設をめぐって、各地でNIMBY運動が繰り広げられやすい。
対義語はYIMBY(Yes In My Back Yard)。NIMBYとは、文明社会が生み出す「不快なもの・危険なもの・死に関わるもの」を誰が引き受けるかという分配問題である。
本稿では、古代から現代に至るまでの歴史を縦断しながら、NIMBYが「なぜ生まれたのか」「誰が負担を強いられてきたのか」を問い直す。
古代の都市と「危険の共存」
現代の感覚からすると奇異に映るかもしれないが、古代・中世の都市では「危険・汚れ・死」は社会の中枢に統合されていることが多かった。むしろそれらは宗教的秩序の核心であり、人々の生活と不可分の存在だった。
中世ヨーロッパの都市を見ると、その中心には墓地、処刑場、屠殺場、市場が混在していた。パリの中心部に存在したレ・アール(Les Halles)は、巨大な食肉市場である。最も象徴的な例はインドのガンジス川だろう。ガンジス川のほとりでは今も火葬が行われ、遺骨や灰が川に流される。ヒンドゥー教の世界観において、死は「穢れ」ではなく「輪廻への移行」であり神聖な場である。古代社会において、死や汚れが共同体の中心に置かれていたのは、それが宗教的・社会的な意味の体系に組み込まれていたからである。
古代・中世において、現代のような組織的なNIMBY運動が生まれにくかった理由は主に二つある。
第一に、宗教的秩序による意味づけ。死・穢れ・危険は宗教的文脈の中で役割を与えられており、「ただの迷惑」ではなかった。人々はその意味づけを共有することで、危険を「共同で引き受ける」ことができた。
第二に、身分制度による強制的な役割分担。インドのカースト制度に代表されるように、「汚れた仕事」を担う層が社会制度の中に組み込まれていた。これは苛酷な差別的構造であり、決して理想的な分配ではない。しかし危険と汚れの処理が「誰かの強制的な役割」として制度化されていたため、他の層が集合的に反対する動機が生じにくかったという側面はある。
現代的なNIMBY運動が成立するためには、「施設の必要性は認めるが自分の近くには置きたくない」と主張し、かつ「他の場所に押しつけられる誰か」が存在する社会構造が必要だ。その構造を生み出したのが、近代の都市化と階層分化である。
近代都市の誕生と空間の分離
NIMBYの思想が形成されたのは、19世紀の衛生革命以降である。
ルイ・パスツールやロベルト・コッホらの研究により、「病気は微生物によって引き起こされる」という細菌学的理解が広まった。この認識は、都市空間の再編成を促した。廃棄物処理場、下水、汚染された水が都市病の温床として認識され、それらを都市から排除するようになったのだ。
同時期、産業革命による都市人口の爆発的増加が追い打ちをかけた。ロンドンの人口は1800年の約100万人から、1900年には約650万人に膨れ上がった。密度の上昇が都市は機能別に分離される必要に迫られた。
ナポレオン3世の命を受けたオスマンは、パリ改造(1853〜1870年)に着手し、は、中世的な迷路を撤去し、広い大通りと近代的な上下水道を整備した。このプロセスで、屠殺場、ゴミ処理施設、工場は都市の外縁部へと追いやられた。
こうして「都市中心=清潔・住宅・商業」「都市外縁=危険・汚染・生産」という空間的構造が誕生した。これが後のNIMBYの地理的基盤となる。
ゾーニングの制度化
20世紀初頭、都市の機能分離は法制度として確立される。ドイツでは19世紀末のフランクフルト(1891年)やドレスデンで先行する用途分離の試みが存在したが、1916年のニューヨーク・ゾーニング規制(New York Zoning Resolution)は、その後の世界の都市計画に最も大きな影響を与えた包括的な用途地域制度として知られる。都市を住宅地・商業地・工業地に分類するこの仕組みは、世界各国の都市立法の範型となった。
この制度化により、「危険施設はどこに置くべきか」という問いが法的に明示されるようになった。誰もが住宅地の保護を望む一方で、発電所・廃棄物処理・下水・刑務所などは「どこかに」なければならない。こうしてNIMBY問題の構造が制度的に固定化された。
誰が危険を引き受けるのか
20世紀以降、NIMBYをめぐる問題は単純な住民反対運動を超え、より深刻な社会的不平等の問題として浮かび上がってきた。危険施設・迷惑施設は、政治的に「弱い」地域に集中する傾向が明白に見られるようになったのだ。
「弱い地域」とは具体的には、農村・過疎地域、低所得層の居住地区、少数民族・マイノリティのコミュニティを指す。こうした地域は、政治的発言力が低く、反対運動を組織するためのリソースが不足しており、経済的な代替手段を持たないことが多い。
この問題を研究する分野が「環境正義」である。1980年代のアメリカで生まれたこの概念は、有害廃棄物処理施設・産業廃棄物処分場・化学工場などの立地が、黒人・ヒスパニック系コミュニティに著しく偏っていることを明らかにした。
原子力発電所の立地
日本における最も鮮明なNIMBY問題の一つが、原子力発電所の立地をめぐる問題だ。日本の原発は、過疎化が進む沿岸部の農漁村に集中している。福島第一原子力発電所(福島県双葉郡)、柏崎刈羽原子力発電所(新潟県柏崎市・刈羽村)、若狭湾沿岸の複数の原発群などは、いずれも人口が少なく、産業が乏しく、地方財政が脆弱な地域に立地している。
都市圏は電力を消費しながら、その生産設備を「見えない場所」に置くことで電力供給を享受してきた。電力という恩恵は都市に流れ、リスクは地方が担う 。では、なぜ地域住民はリスクを受け入れるのか。そこには「経済的補償」という仕組みが存在する。
日本では「電源三法」に基づき、原発立地地域に多額の交付金が支払われる仕組みがある。この交付金によって道路・体育館・文化施設・学校などが建設され、地域経済が一時的に潤う。交付金は原発の建設・稼働の段階に応じて支払われる構造になっており、稼働が続くほど地域に資金が流れる。その結果、地域は雇用・税収・補助金のすべてを原発に依存する「依存経済」に陥る。一度この構造に組み込まれると、原発の廃炉や縮小は地域経済の崩壊を意味するため、住民が原発の存続を支持する側に回るという逆説が生じる。
2011年の福島第一原発事故はこの構造の脆さを白日の下に晒した。
沖縄の米軍基地
同じ構造は、沖縄の米軍基地問題にも見られる。日本の国土面積の約0.6%に過ぎない沖縄に、在日米軍専用施設の面積の約70%が集中している。安全保障上「必要」とされる基地のリスク(騒音・事故・犯罪・環境汚染)の大部分を、沖縄の人々が引き受けている構造だ。
沖縄に対しても基地関連交付金や振興予算が投入されてきた。経済的補償による「合意の調達」という構造は、原発立地の問題と重なる。
不可視化された現代のインフラ
現代の大都市は、住民からは「見えない」インフラによって成立している。
東京を例にとれば、夢の島(江東区)や中央防波堤の廃棄物処分場、首都圏の外縁に点在する火力発電所と変電施設、郊外に配置された下水処理場・ごみ焼却施設などが、都市の「見えない臓器」として機能している。都市住民は毎日ゴミを出し、電力を使い、水を消費するが、それらがどこから来てどこへ行くのかを意識することはほとんどない。
これは設計された「見えなさ」である。その結果、都市住民は自分たちの生活が「誰かの負担の上に成立している」という事実から切り離されている。
環境差別のグローバルな広がり
「弱者の地域に危険施設が集まる」という現象は、日本だけでなくグローバルな構造でもある。
途上国では、先進国の電子廃棄物が劣悪な条件で処理され、地域住民の健康被害を引き起こしている。ガーナの首都アクラ郊外に位置するアグボグブロシー(Agbogbloshie)は、世界最大規模のe-waste処理場として知られ、鉛・水銀・カドミウムによる深刻な環境汚染が報告されている。
NIMBYの問題は、地域内の話にとどまらない。それは都市と農村、富裕国と途上国、支配層と被支配層の間の権力関係が「空間的に刻印された」問題なのだ。

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