農業は「自然と調和する営み」と語られる一方で、農薬や大量生産への批判も絶えません。しかし本当に問うべきなのは、どの農業が善か悪かではなく、どの仕組みが長く機能し続けるかです。本記事では、農薬、有機農業、食料安全保障を一つの農業システムとして捉え、私たちの選択が社会に与える影響を読み解きます。
1. 農薬と環境負荷 ― 制御装置が生む新たな問題
農薬は「悪」ではなく「制御技術」である
農薬に対する感情的な反発は根強いものがあります。しかし農薬の本質は、害虫・病原菌・雑草といった「作物の生育を妨げる要素」を制御する技術です。問題は存在そのものではなく、使い方と、それが引き起こす予期せぬ連鎖にあります。
ネオニコチノイド系農薬とミツバチ大量死の教訓
2000年代以降、世界各地でミツバチの大量死が報告されました。原因の一つとして疑われたのが、ネオニコチノイド系農薬です。この農薬は昆虫の神経系に作用し、少量でも長期間効果を発揮する「効率的な」殺虫剤として普及しました。
しかし、標的である害虫だけでなく、花粉を運ぶミツバチにも影響を与えたのです。ミツバチが減れば、受粉に依存する作物の収量が減る。農薬で害虫を抑えたはずが、別の経路で食料生産を脅かす——これは典型的な「システムの副作用」です。
耐性害虫の出現と「農薬の軍拡競争」
もう一つの問題は、農薬に耐性を持つ害虫の進化です。同じ農薬を繰り返し使うと、生き残った個体が繁殖し、やがて農薬が効かない集団が形成されます。するとより強力な農薬が開発され、それにまた耐性が生まれる——この繰り返しは、まるで軍拡競争のようです。
つまり農薬は、短期的には収量を安定させますが、長期的には生態系への負荷と新たな問題を生み出す。この構造を理解せずに「農薬=悪」と断じるのも、「農薬は安全」と盲信するのも、どちらも不十分です。
2. 有機農業と慣行農業 ― 対立ではなく役割分担
有機農業は「誰もが選べる贅沢」ではない
有機農業は環境負荷が低く、土壌の健全性を保つ利点があります。しかし、現実には慣行農業と比べて収量が20〜40%低く、労働時間は1.5〜2倍かかります。
日本の食料自給率(カロリーベース)は約38%。もし国内の全農地を有機農業に転換すれば、収量減によって自給率はさらに低下します。輸入に頼る構造が強まれば、国際情勢の変動に対して脆弱になる。これは単なる「選択の問題」ではなく、食料安全保障に直結する構造的な制約です。
江戸時代の循環農業とその限界
「昔はすべて有機農業だった」という主張をよく聞きますが、江戸時代の農業は確かに化学肥料を使わない循環型でした。人糞尿を肥料とし、草木灰や魚肥を活用する——現代から見れば理想的に思えます。
しかし、その代償は飢饉の頻発でした。天明の大飢饉(1782-1788年)では、推定で数十万人が餓死したとされます。気候変動や病害虫の発生に対して、有効な対策がなかったからです。
慣行農業がもたらした「緑の革命」の功罪
20世紀半ば、化学肥料と改良品種を組み合わせた「緑の革命」により、世界の穀物生産量は飛躍的に増加しました。これにより、何億人もの人々が飢餓から救われたのは事実です。
しかし同時に、土壌劣化・地下水汚染・生物多様性の減少といった環境問題も深刻化しました。単一品種の大規模栽培は、病害虫に対して脆弱でもあります。
「どちらかを選ぶ」のではなく「組み合わせる」
システム的に見れば、有機農業と慣行農業は対立するものではなく、異なる役割を担う補完関係にあります。
- 有機農業:環境負荷を下げ、土壌の健全性を維持する緩衝装置
- 慣行農業:大量供給を支え、価格を安定させる基盤
都市近郊では消費者の選択肢として有機農業を推進し、大規模生産地では慣行農業で供給を支える。このような「役割分担」こそが、現実的な持続可能性の設計です。
3. 農業は自然ではなく「高度に人工化されたシステム」である
農業は「自然に逆らう技術」である
農業は「自然と調和する」営みと語られがちですが、実際には自然の流れに積極的に介入し、特定の作物だけを育てる人工システムです。
自然に任せれば、畑は雑草に覆われ、害虫が増え、多様な植物が競合します。農業とは、この「自然の多様性」を意図的に排除し、単一作物の生産を最大化する技術なのです。
単一栽培(モノカルチャー)の効率と脆弱性
現代農業の多くは、広大な土地に同じ作物を植える単一栽培です。これは機械化による効率化を可能にし、大量生産とコスト削減を実現しました。
しかし、生態学的には極めて不安定です。ある病害虫が発生すれば、一気に広がる。アイルランドのジャガイモ飢饉(1845-1849年)では、単一品種への依存が疫病の大流行を招き、100万人以上が餓死しました。
つまり農業は、効率と安定性のトレードオフの上に成り立っています。
4. 食料安全保障 ― 安さと安定は同時に手に入らない
輸入依存という「見えないリスク」
日本の食料自給率38%という数字は、平時には問題なく機能しているように見えます。安価な輸入穀物により、消費者は低価格で食品を手に入れられる。
しかし2022年のウクライナ侵攻では、小麦の国際価格が急騰し、パンや麺類の値上げが相次ぎました。また、中国の経済成長により、世界の穀物需要は今後も増加が見込まれます。「いつでも買える」という前提は、決して盤石ではありません。
国内生産を守るコスト
では国内生産を増やせば良いのか——話はそう単純ではありません。日本の農業従事者の平均年齢は約68歳。高齢化と後継者不足により、耕作放棄地は年々増加しています。
また、日本の農地は狭小で機械化が難しく、生産コストが高い。米国やオーストラリアの大規模農業と価格競争をすれば、太刀打ちできません。国内生産を維持するには、補助金や関税による保護が必要ですが、それは消費者の負担増を意味します。
安い輸入食料に依存するか、高くても国内生産を支えるか——この選択は、経済合理性と国家安全保障のバランスの問題です。
5. 持続可能性とは「効率を落とすこと」である
冗長性という「見えない保険」
持続可能なシステムには、一見無駄に見える「余剰」が組み込まれています。
- 複数の供給源
- 在庫の確保
- 多様な品種の保存
- 小規模生産者の維持
これらは平時には「非効率」と批判されます。しかし、災害や紛争などの非常時には、社会を崩壊から守る保険として機能します。
農業における冗長性の設計
農業でも同様です。単一品種の大量生産は効率的ですが、病害虫や気候変動に脆弱です。一方、多品種を少量ずつ栽培すれば、リスクは分散されますが、コストは上がります。
持続可能性とは、短期的な効率を多少犠牲にしてでも、長期的な安定性を確保する設計思想なのです。
農業システムを一枚の図で見る
整理すると、農業システムは以下の要素で構成されます。
- 農薬:害虫・病原菌を制御する技術だが、生態系への負荷と耐性の問題を生む
- 有機農業:環境負荷を下げるが、収量と労働時間のトレードオフがある
- 慣行農業:大量供給を支えるが、外部資材への依存と環境負荷が大きい
- 食料安全保障:輸入依存による低価格と、国内生産による安定性のバランス
- 冗長性:非効率に見えるが、非常時の保険として機能
これらは対立するものではなく、相互に依存し、補完し合う関係にあります。
日常の判断はどう変わるか
この視点を持つと、農業に関する判断の軸が変わります。
- 「有機かどうか」ではなく、「どのような制御と負荷のバランスか」を考える
- 「国産だから安心」ではなく、「供給構造の多様性」を意識する
- 「安いから選ぶ」だけでなく、「その価格が何を犠牲にしているか」を問う
消費者としての選択は、単なる個人の好みではなく、農業システム全体の挙動に影響を与えます。
結び ― 畑は社会インフラである
畑は単なる生産現場ではありません。それは、人間社会が自然と折り合いをつけるための装置であり、経済・技術・政治が交差する社会インフラです。
持続可能な農業とは、自然に戻ることではなく、壊れにくい仕組みをつくることです。それは効率と安定性、経済性と安全保障、技術と倫理のバランスを、常に問い直し続けるプロセスなのです。
私たちが今日食べる一皿は、このシステムの末端にあります。そのことを意識するだけでも、農業への見方は変わるはずです。
