戦前の国立の高等教育機関(主に理工系)を設立年順に並べた表です。
あわせて、同時代の国内外の時事を右端に付しています。
日本の高等教育機関 の設立年表
| 年 | 帝国大学 | 官立大学 | 官立高等工業 | 官立高等農林 | 官立旧制高校 | 主な時事 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1872 | 富岡製糸場開所 | |||||
| 1886 | 東京 | 第一 | ||||
| 1894 | 日清戦争 | |||||
| 1895 | 台湾統治 | |||||
| 1897 | 京都 | |||||
| 1901 | (東京→官立大) (大阪→官立大) | 第七 | 八幡製鉄所操業 足尾銅山鉱毒事件の直訴 | |||
| 1902 | 京都工芸 | 盛岡 | ||||
| 1903 | ||||||
| 1904 | 日露戦争 | |||||
| 1905 | 名古屋 | 相対性理論(特殊) | ||||
| 1906 | 熊本 (仙台→帝国大) | |||||
| 1907 | 東北 | |||||
| 1908 | 鹿児島 | 第八 | ||||
| 1909 | (旅順工科堂→大学) | |||||
| 1910 | 米沢 秋田鉱山 | 上田蚕糸 | 日韓併合 | |||
| 1911 | 九州 | X線結晶解析 | ||||
| 1912 | ||||||
| 1914 | 東京蚕糸 京都蚕糸 | 第一次世界大戦 | ||||
| 1915 | 桐生染織 | |||||
| 1918 | 北海道 | 水原 | 大学令・高等教育機関拡充 | |||
| 1919 | 松本 新潟 山口 松山 | |||||
| 1920 | 東京商科 | 横浜 広島 金沢 | 鳥取 | 水戸 山形 佐賀 弘前 松江 | ||
| 1921 | 神戸 千葉工芸 明治(官立移管) 仙台(帝国大から分離) | 三重 | 東京 大阪 浦和 福岡 | |||
| 1922 | 新潟医科 岡山医科 旅順工科 | 浜松 徳島 | 宇都宮 台北 | 静岡 高知 台北 | 電力網全国化 | |
| 1923 | 千葉医科 金沢医科 長崎医科 | 長岡 福井 | 岐阜 | 姫路 広島 | ||
| 1924 | 京城 | 山梨 | 宮崎 | |||
| 1928 | 台北 | ペニシリン発見 | ||||
| 1929 | 熊本医科 東京工業 (大阪工業→帝国大) 東京文理 広島文理 | 千葉園芸 | 世界恐慌 | |||
| 1931 | 大阪 | (名古屋医科→帝国大) | 台南 京城 | 満州事変 | ||
| 1939 | 名古屋 | 室蘭 盛岡 多賀 大阪 宇部 新居浜 久留米 大同 | 台中 | 第二次世界大戦 | ||
| 1945 | 敗戦 | |||||
| 1949 | 新制大学へ | 新制大学へ | 新制大学へ | 新制大学へ | 新制大学へ | 学制改革 |
- 帝国大学 日本のエリート養成と研究であった。戦後はそのままの形で新制大学になった。
- 旧制高校 帝国大学の教養課程の位置づけであり、どこかの帝国大学に無試験で入学できた。戦後は、教養部や地方大学の文学部、理学部の母体となった。旧制高校OBはその精神的・文化的連続性を否定し、戦後の大学を旧制高校の後身とは認めなかった。
- 高等工業・高等農林 実務人材基盤の完成教育。一方で、大学の定員が満たされない場合、傍系入学として進学が認められた。戦後は周囲の専門学校と統合して地方大学の工学部や農学部になった。
- 大学令によって多くの私立の専門学校が大学になった。一方で専門学校令のまま大学を名乗ることもあった。
- 時代的に官立の評価が高かった。


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