私たちは日々、自然から切り離された都市空間で暮らしています。しかし、呼吸する酸素、飲む水、食べる食料――これらすべては、見えないところで機能し続ける生態系が供給しているものです。生態系を「自己調整する循環システム」として理解し、人間活動がそのバランスをどう崩し、どうすれば持続可能な関係を築けるのかを考えます。
この章のねらい
生態系は「自然の話」ではありません。ここでは、生態系をエネルギーと物質が循環する動的システムとして捉え直し、その基本構造、物質循環とエネルギーの流れの違い、外来生物がなぜバランスを崩すのか、持続可能性とは何かを理解します。そして最も重要なのは、人間は生態系の「外」ではなく「内」にいるという認識です。
32. 生態系(生産者・消費者・分解者)
なぜ重要か
生態系は、エネルギーと物質が循環する最小単位です。この仕組みが止まると、食料も空気も土も維持できません。私たちの生存は、この見えないシステムの上に成り立っています。
基本構造:3つの役割
生態系は大きく3つの役割で成り立っています。まず生産者である植物や藻類は、太陽エネルギーを使って光合成を行い、無機物(水や二酸化炭素)から有機物を作り出します。これがすべてのエネルギーの入り口です。
次に消費者である動物たちは、生産者や他の動物を食べることでエネルギーを得ます。草食動物も肉食動物も、そして人間も、この消費者の一員です。
そして最後に、しばしば見落とされがちですが最も重要な存在が分解者です。細菌や菌類は、生物の死骸や排泄物を分解し、再び無機物に戻す役割を担います。分解者がいなければ、死骸は蓄積し、資源は再利用されません。
見落とされがちな真実
土壌菌がいなければ植物は育ちません。腸内細菌がいなければ動物は栄養を吸収できません(食べることは、体を運営することだ参照)。私たちは見えない微生物の働きなしには一日たりとも生きられないのです。
この生態系の基本構造は、人体の恒常性維持システムと類似しています。どちらも複数の要素が役割分担し、フィードバック機構で安定性を保ち、一部が欠けると全体が崩壊するという特徴を持っています。
33. 食物連鎖と物質循環
よくある誤解を解く
「食物連鎖」という言葉から、私たちは草→バッタ→カエル→ヘビ→タカという一直線の関係を想像しがちです。しかし実際の自然界はそれほど単純ではありません。実際は網の目状の食物網で、複数の経路が複雑に絡み合っています。
太陽光は植物に注がれ、その植物は昆虫にも草食獣にも魚にも食べられます。それらを食べる肉食動物もまた複数存在し、最終的にすべての生物は死んで分解者によって無機物に戻され、再び植物の栄養となります。この複雑なネットワークこそが、生態系の安定性を支えているのです。
エネルギーと物質の決定的な違い
ここで重要なのは、エネルギーと物質がまったく異なる動きをするという事実です。エネルギーは太陽から生物へと一方向に流れ、最終的には熱として散逸します。再利用はできません。これは「熱はなぜ一方通行なのか」で学んだ熱力学第二法則の帰結です。だからこそ、生態系は常に太陽からの新しいエネルギー供給を必要とするのです。
一方、物質は循環します。炭素、窒素、水といった物質は、生産・消費・分解のサイクルを通じて何度も再利用されます。私たちの体を構成する炭素原子は、かつて恐竜の一部だったかもしれませんし、古代の海を漂っていたかもしれません。
なぜ上位捕食者は少ないのか:エネルギー効率の問題
食物連鎖では、栄養段階が一つ上がるごとに、エネルギーの約90%が失われます。生物は呼吸や運動、体温維持といった生命活動にエネルギーを使うため、次の段階へ渡せるのは約10%に過ぎません。これをエネルギー効率と呼びます。
たとえば植物が太陽光から10000のエネルギーを得たとします。草食動物がその植物を食べても得られるのは約1000(10%)、その草食動物を食べる肉食動物が得られるのは約100(1%)、さらにその上の捕食者は約10(0.1%)しか得られません。
この法則により、ライオンやワシのような頂点捕食者の数は必然的に少なくなります。生態系が支えられる上位捕食者の数には、物理法則による厳格な上限があるのです。これは生態ピラミッドと呼ばれ、熱力学第二法則に従う以上、決して逆転することはありません。
重要な視点
この食物網には重要な特徴があります。上位捕食者が消えると、下位の生物が増えすぎてバランスが崩れるのです。かつてアメリカのイエローストーン国立公園でオオカミが絶滅したとき、シカが増加し、森林が破壊されました。オオカミが再導入されると、シカの数が適正化され、森林が回復しました。
人間は「連鎖の外」にいるのではありません。むしろ最大の攪乱要因として、生態系に影響を与え続けています。漁業により特定魚種を大量捕獲すれば、生態系バランスは崩壊します。
34. 外来生物と生態バランス
外来生物とは何か
外来生物とは、人為的に本来いなかった地域へ持ち込まれた生物のことです。ここで理解しておくべきは、外来生物そのものが「悪」なのではないということです。問題は、天敵がいない、繁殖力が強い、在来種が適応できないという条件が揃うことにあります。
具体例から学ぶ
ブラックバスは北アメリカ原産の魚で、釣り目的で日本の湖沼に放流されました。天敵がいない環境で爆発的に増え、在来魚を捕食した結果、全国の湖沼で生態系が破壊されました。
セイタカアワダチソウもまた北アメリカ原産の植物で、他の植物の成長を抑える物質を分泌します。在来植物が衰退し、生物多様性が低下しました。
アライグマは、かつてペットとして輸入されましたが、野生化して農作物被害をもたらし、在来種である鳥類の卵などを捕食しています。
生物多様性の3つのレベル
生態系を支えるのは、単に「たくさんの種類がいる」ことだけではありません。生物多様性は3つのレベルで存在します。
まず生態系の多様性です。森林、草原、湿地、海洋など、様々なタイプの生態系が存在することで、地球全体の安定性が保たれています。一つの生態系が失われても、他の生態系がその機能を補完できる可能性があります。
次に種の多様性です。様々な動物、植物、菌類、細菌が存在することで、食物網は複雑になり、安定性が増します。ある種が減少しても、似た役割を持つ別の種が存在すれば、生態系全体の機能は維持されやすくなります。
最後に遺伝子の多様性です。同じ種であっても、個体ごとに遺伝子の違いがあります。この多様性があるからこそ、環境が変化したときに適応できる個体が生き残り、種全体が絶滅を免れることができます。病気に強い個体、寒さに強い個体など、多様な遺伝子プールが種の保険となっているのです。
生物多様性が失われるとどうなるか
生物多様性の喪失は、生態系のレジリエンス(回復力)を低下させます。多様性が高い生態系は、病気や異常気象などの攪乱に対して柔軟に対応できますが、多様性が失われると、小さな変化でも連鎖的な崩壊を引き起こす可能性が高まります。
たとえば農業において、単一品種のみを栽培するモノカルチャーは効率的ですが、一度病害が発生すると全滅のリスクがあります。19世紀のアイルランドでジャガイモ飢饉が起きたのは、遺伝的に均一なジャガイモが病気に弱かったためです。この教訓は、生物多様性が持つ「保険」としての価値を示しています。
35. 持続可能な社会と生物資源
生態系が提供する恵み
生態系は、私たちに様々な恵みを提供しています。食料、木材、水産資源といった供給サービス、気候調整、水質浄化、受粉といった調整サービス、景観やレクリエーションといった文化サービス、そして土壌形成や栄養循環といった基盤サービスです。
持続可能性の条件
持続可能性とは、将来の世代も同じ恵みを受けられるよう、生態系の回復力を壊さない範囲で資源を利用することです。その条件は明確です。使う量が再生する量を超えないこと、単一種への依存を避け多様性を保つこと、そして科学的データに基づいた利用計画を立てることです。
現実の課題
しかし現実には、多くの場面で持続可能性が損なわれています。マグロやウナギなど多くの魚種が、再生速度を超えた捕獲によって減少しています。漁獲量制限や禁漁期間の設定といった対策が必要とされています。
農業では、効率を追求した単一作物栽培(モノカルチャー)が行われていますが、これは病害リスクを増大させ、生態系を脆弱にします。輪作や間作による多様性維持が求められます。
森林破壊も深刻です。木材生産や農地拡大のために熱帯雨林が減少し、気候調整機能が失われ、水循環に影響を及ぼしています。持続可能な森林管理が必要です。
人間社会との接続
持続可能性は「環境問題」だけではありません。これは経済的、社会的、そして倫理的な問題でもあります。資源が枯渇すれば産業が成り立たなくなり、貧困地域ほど環境破壊の影響を受けやすく、未来世代も同じ恵みを受ける権利があるのです。
気候変動と生物多様性
気候変動は生物多様性に深刻な影響を及ぼします。地球の平均気温が1.5〜2.5℃上昇すると、生物種の20〜30%が絶滅のリスクにさらされると予測されています。生息地の環境が変化することで、多くの生物が適応できずに絶滅する可能性があるのです。
これは単に「かわいそうな動物が減る」という話ではありません。受粉を担う昆虫が減れば農作物の生産に影響し、森林が衰退すれば水循環や土砂災害防止の機能が失われます。生物多様性の喪失は、私たちの生活基盤そのものを脅かす問題なのです。
この章のまとめ:一つの視点
人間は生態系の「外」ではなく「内」にいる
私たちは以下のように誤解しがちです。人間は自然を利用する存在であり、技術があれば自然は不要であり、環境問題は自然保護の話だと。
しかし正しくはこうです。人間は生態系を「利用している」のではなく、生態系の一部として「依存している」のです。生態系は壊れてもすぐには戻りません。技術だけでは代替できない機能(受粉、土壌形成、気候調整など)があり、持続可能性とは「我慢」ではなく設計の問題なのです。
システム科学の視点から
生態系は、自己調整能力(レジリエンス)を持ち、ある程度の攪乱には耐えられますが、臨界点(ティッピングポイント)を超えると急激に崩壊します。そして一度崩壊すると元に戻らないという不可逆性を持っています。
これらは医療システム、免疫システム、社会システムにも共通する性質です。私たちは、個別の知識ではなく、こうしたシステムの性質を理解する思考のOSを身につける必要があるのです。
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