化学物質はどうやって社会に出るのか―化学の認可プロセスーS2-3-

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本記事では、家庭や職場で使う化学製品について、化学式・用途・リスク・安全な取り扱い方を体系的に整理します。

はじめに:なぜ同じ「化学物質」なのに扱いが違うのか

私たちの身の回りには、医薬品、食品添加物、農薬、洗剤など、数えきれないほどの化学物質が存在しています。構造式で見ればどれも「化学物質」であるにもかかわらず、医薬品は副作用を許容され、農薬は強く忌避され、食品添加物は「ゼロであるべき」と語られがちです。

この違いは、物質そのものの善悪ではなく、社会がどのような目的で、どのような前提のもとに使うかという制度設計の違いから生まれています。化学物質は「天然か人工か」ではなく「どんな性質を持ち、どう使えば安全か」で判断されるべきものです。

本記事では、医薬品を軸にしつつ、食品添加物、農薬・殺虫剤、洗剤などの日用品までを横断し、「化学物質が社会に出るまでの共通プロセス」と「分野ごとの思想の違い」を整理します。

1. すべてに共通する安全性評価の基本構造

どの分野の化学物質であっても、認可や規制の出発点は共通しています。評価は大きく四つの段階に分けられます。

第一に、物性・化学的性質の把握です。分子構造、安定性、水や脂への溶けやすさ、分解のされやすさなどが調べられます。これは後の毒性評価や環境影響評価の前提となります。

第二に、毒性(ハザード)の評価です。急性毒性、長期にわたる慢性毒性、発がん性、生殖・発生毒性、遺伝毒性などが系統的に試験されます。

第三に、ばく露評価が行われます。人がどの経路で、どれくらいの量に、どのくらいの頻度で触れるのかを現実的に見積もる工程です。

最後に、毒性とばく露量を組み合わせたリスク評価が行われます。ここで初めて、「その物質は危険か」という問いに、具体的な文脈付きで答えが与えられます。

この「ハザードとリスクの区別」という枠組みは、医薬品でも、農薬でも、洗剤でも共通しています。ハザード(有害性)は物質が持つ潜在的な危険性であり、リスクはその物質にどれだけ触れるかを掛け合わせたものです。これは化学物質の安全な使用を考える上での基本原則でもあります。

2. 医薬品:効かせることを前提にした例外的存在

医薬品は、化学物質の中でも特異な立場にあります。なぜなら、「体に作用させること」を目的に開発されるからです。

根拠法と規制機関

日本では、**医薬品医療機器等法(薬機法、正式名称:医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律)**が医薬品を規制しています。独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA)が科学的審査を担当し、厚生労働大臣が最終的な承認を行います。

非臨床試験

開発初期では、試験管内や動物を用いて、薬理作用と毒性が調べられます。ここでは、有効性と同時に、どの臓器にどのような影響が出るか、どのくらいの量で有害作用が現れるかが詳細に検討されます。急性毒性試験、反復投与毒性試験、発がん性試験、生殖・発生毒性試験などが段階的に実施されます。吸収・分布・代謝・排泄といった体内動態の解析も重要な要素です。

臨床試験

非臨床試験を通過した物質は、人を対象とした臨床試験へ進みます。第I相試験では少人数の健康な成人で安全性を確認し、第II相試験では患者で効果と適切な用量を探り、第III相試験では大規模な比較試験で既存治療との優劣を評価します。

承認と市販後

規制当局(日本ではPMDA・厚生労働省)による審査を経て承認された後も、医薬品は監視下に置かれます。市販後調査や副作用報告制度により、想定外のリスクが継続的に評価されます。

医薬品の根底にある思想は明確です。副作用が存在しても、治療による利益がそれを上回るなら使用を認める、というリスク・ベネフィット評価です。これが、医薬品だけが持つ「危険でも、効くなら次へ進む」という独特の判断基準です。

3. 食品添加物:一生摂り続けても安全であること

食品添加物は、医薬品とは正反対の立場にあります。人体に積極的な作用を与えることは目的とされず、評価は安全性に特化して行われます。

根拠法と規制機関

食品衛生法が食品添加物の基本法です。食品安全委員会がリスク評価(科学的な安全性評価)を行い、厚生労働省がその結果を受けて薬事・食品衛生審議会で審議し、使用基準を設定します。平成15年の法改正により、リスク評価とリスク管理の機関が分離され、科学的判断と行政判断の透明性が確保されています。

動物を用いた試験によって、急性毒性、慢性毒性、発がん性、生殖・発生毒性、遺伝毒性などが調べられます。長期間摂取しても影響が出ない量(無毒性量)が求められ、そこに安全係数が適用されます。この結果として設定されるのが、**一日許容摂取量(ADI:Acceptable Daily Intake)**です。

安全係数は通常100が用いられますが、これは動物と人の種差(10倍)と個人差(10倍)を掛け合わせた経験的な数値です。データが不十分な場合は1000が使われることもあり、逆に人でのデータが豊富な場合は10になることもあります。つまり、安全係数は固定された魔法の数字ではなく、不確実性を織り込んだ保守的な判断の結果なのです。

評価を担う機関の分離

重要なのは、日本では安全性評価を担う機関と規制を担う機関が分離されている点です。食品添加物の場合、食品安全委員会がADIを設定(リスク評価)し、その結果を受けて厚生労働省(現在は消費者庁)が使用基準を定める(リスク管理)という役割分担がなされています。この「評価と管理の分離」は、科学的判断と社会的判断を区別し、透明性を確保するための重要な仕組みです。

重要なのは、ADIが「無限に安全な量」を意味しない点です。動物と人の差、個人差、データの不確実性を見込んだ、極めて保守的な指標です。

食品添加物の基本思想は、**「一生、毎日食べ続けても健康影響が出ない範囲でのみ使用を認める」**というものです。

4. 農薬・殺虫剤:毒性を前提に管理される化学物質

農薬や殺虫剤は、意図的に生物に作用させる点で、しばしば誤解を受けます。しかし制度上は、毒性があること自体は否定されていません。重要なのは、人がどれだけその物質に触れるかです。

根拠法と規制機関の役割分担

農薬は複数の法律と機関が協力して管理しています。

**農薬取締法(農林水産省)**により、農薬の製造・販売・使用が規制されます。農林水産大臣の登録を受けた農薬のみが使用でき、作物ごと・使用方法ごとに基準が設定されます。

**食品衛生法(厚生労働省)**により、食品中の残留農薬基準が設定されます。食品安全委員会がADIとARfDを設定し、厚生労働省が残留基準値を定めます。農薬が基準値を超えて残留する食品の販売は禁止されています(ポジティブリスト制度)。

**環境基本法と農薬取締法(環境省)**により、水質汚濁や生態系への影響に関する登録保留基準が設定されます。

評価の内容

評価では、人への毒性試験(食品添加物とほぼ同様の項目)に加え、作物への残留試験、環境中での分解挙動、水生生物・昆虫・土壌生物への影響などが調べられます。

これらを踏まえ、人が食品から摂取する量がADI(慢性的な摂取)や急性参照用量(ARfD:短期間の大量摂取)を下回るよう、使用方法や残留基準値(MRL:Maximum Residue Limit)が設定されます。

なお、残留基準値の設定方法は食品添加物と異なる点に注意が必要です。食品添加物の使用基準はADIから逆算して決められますが、農薬の残留基準値は作物残留試験で得られた実際の残留濃度に基づいて設定され、その後、実際の摂取量がADIやARfDを超えないかを確認するという手順を踏みます。つまり、基準値そのものがADIから計算されているわけではありません。

農薬の思想は、**「毒であっても、人が実際に摂取する量が十分に低ければ許容される」**という、ばく露管理に基づく考え方です。

5. 洗剤・日用品:使用条件込みでの安全評価

洗剤や日用品は、経口摂取を前提としない点で、評価の重点が異なります。

根拠法と規制

洗剤などの日用品は、主に以下の法律で管理されます。

**化学物質審査規制法(化審法)**は、人の健康や生態系への影響を防止するため、新規化学物質の事前審査と既存化学物質の継続的管理を定めています。厚生労働省、経済産業省、環境省が共同で所管しています。

**有害物質を含有する家庭用品の規制に関する法律(家庭用品規制法)**は、家庭用品に含まれる有害物質について基準を設定し、健康被害を防止します。

消費生活用製品安全法は、製品の安全性確保のための技術基準を定めています。

主なばく露経路は皮膚と吸入であるため、皮膚刺激性、眼刺激性、感作性(アレルギー)、吸入毒性などが中心となります。通常の使用方法で健康被害が起きないことが確認されます。

同時に、界面活性剤の分解性や水生生物への影響といった環境面での評価も重要です。

ここでは、「誤った使い方」ではなく、「想定された使い方」での安全性が判断基準となります。

6. 試験の限界と市販後評価の重要性

どれほど厳密な試験を行っても、すべてのリスクを事前に把握することはできません。

試験で分かるのは「想定した条件下での影響」だけ

動物実験は人の完全なコピーではありません。実際の生活は、複数の物質への同時ばく露、想定より長期の使用、個人差の大きさなど、試験条件よりはるかに複雑です。

遺伝毒性発がん物質の扱い

特殊なケースとして、遺伝毒性を持つ発がん物質については、ADIを設定できません。このような物質には閾値(これ以下なら安全という量)が存在しないと考えられるため、原則として使用が認められないか、やむを得ず使用される場合は「合理的に達成可能な限り低く(ALARA原則)」管理されます。

混合ばく露(カクテル効果)の扱い

多くの人が気にするのが、複数の化学物質に同時に触れる影響です。現在の規制は原則として単物質評価ですが、作用機序が同じものについては合算評価が行われます。不明な場合は最悪ケースを想定した評価が行われることもあります。「無視されている」のではなく、評価が難しすぎるため段階的に扱われているのが実情です。

なお、家庭内で特に注意が必要な「混ぜるな危険」の具体例については、塩素系製品と酸性製品の反応メカニズムで詳しく解説しています。

内分泌かく乱作用(低用量問題)

特に農薬や添加物でよく話題になるのが、高用量では影響がないのに低用量で影響が出る可能性です。これについては、再現性や用量反応の一貫性が非常に厳しく検証されます。「可能性が指摘されている」段階と「規制に反映された」段階は別であることを理解する必要があります。

再評価制度の重要性

このため、医薬品だけでなく、農薬や食品添加物にも再評価制度が設けられています。科学の進歩に応じて、過去に安全とされた判断が見直されることは、制度が機能している証拠でもあります。

例えば、日本では平成7年に食品添加物制度が大きく改正され、既存添加物についても継続的に安全性の確認が進められています。また、農薬については平成18年のポジティブリスト制度導入以降、暫定基準が設定された農薬の見直しが計画的に進められています。

7. 科学と社会のあいだにある規制

安全基準は、純粋な科学だけで決まるものではありません。

規制は「科学+社会的判断」で形づくられます。リスク評価は科学の領域ですが、それをどう管理し、どこまで許容するかはリスク管理、つまり行政や社会の判断です。社会的受容性、代替手段の有無、文化的背景といった要素が加わって、最終的な規制が決まります。

その結果、同じ物質でも国や時代によって扱いが異なることがあります。科学的には低リスクでも社会的に受け入れられず禁止される場合もあれば、科学的には同程度のリスクでも国ごとに基準が異なる場合もあります。

8. 「ゼロリスク信仰」そのものがリスクになる

ここで見落とされがちなのが、リスクを避ける選択そのものが、別のリスクを生むという逆説です。

農薬を忌避すれば食料ロスが増大し、添加物をゼロにすれば微生物リスクが上昇し、薬を怖がれば治療機会を失います。完全に安全な選択肢など存在せず、私たちは常に「どのリスクを、どの程度受け入れるか」という選択を迫られています。

おわりに:危険をゼロにしないという選択

化学物質の規制とは、危険を完全に排除する技術ではなく、危険を認識したうえで、社会として許容できる範囲に管理する技術です。

医薬品は「治すために使う毒」であり、食品添加物は「極めて低リスクに抑えられた化学物質」であり、農薬は「管理された毒」であり、洗剤は「使い方込みで評価される化学」です。

この整理ができたとき、私たちは初めて、化学物質を恐れるのではなく、理解した上で付き合う視点を手に入れることができます。

そして最も重要なのは、用法・用量を守って使うということです。どれほど厳格な評価を経た物質でも、想定された使い方を逸脱すれば危険になりえます。逆に言えば、適切に使えば、科学と制度の両輪によって守られた安全性の範囲内にとどまることができるのです。


さらに深く学ぶために

本記事では化学物質の認可プロセスと制度設計の考え方を解説しました。関連する以下の記事もあわせてご覧ください。

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