錬金術・人工石油の研究が生んだ技術とその限界

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科学史は、合理的計画だけで前進してきたわけではない。むしろ、切迫した欲求や実現困難な夢が、結果として技術と方法論を洗練させてきた側面がある。

錬金術は、非金属を金に変えるという根本的に誤った目的を掲げていた。しかしその過程で、蒸留・昇華・精製・溶解といった操作技術、試薬の概念、実験記録の重要性が体系化され、近代化学の基盤を形づくった。一方で、目的論に縛られ、理論化の遅れや神秘主義への傾斜という負の側面も抱えていた。

石炭や植物から石油を「人工的に生み出す」試みは、エネルギー収支の観点から見れば非効率であり、平時の経済合理性を欠いていた。しかし、戦争と資源封鎖という現実のもとで、触媒化学、高圧反応工学、有機合成技術を飛躍的に進歩させた。

本稿は、錬金術と人工石油を「失敗した夢」として切り捨てるのではなく、その功罪の両面を比較しつつ、科学技術がどのように成熟してきたかを、化石燃料史・合成化学史・エネルギー史の交差点として見る。


錬金術の歴史

錬金術は、しばしば「金を作ろうとした怪しい学問」として語られる。しかし本質はそれより広く、物質は変化しうるのか、世界は人為によって組み替えられるのかという根源的問いへの挑戦だった。

その目的は大きく三つに整理できる:

  • 卑金属を貴金属(金)へと変えること
  • 万能薬(不老長寿・完全治癒)の獲得
  • 物質変成を通じた宇宙・精神の理解

ここで重要なのは、錬金術が単なる物質操作ではなく、自然観・宇宙観・人間観を含む総合的思考体系だった点である。

8〜13世紀、イスラーム文明圏で錬金術は飛躍的に整理される。実験器具の改良(蒸留、昇華、結晶化)、物質の分類(硫黄・水銀理論)、記録と再現性への意識が確立された。

とくにゲーベルは、操作手順・条件・結果を文章化するという、後の化学に直結する態度を確立した。ここで錬金術は、「神秘的技芸」から体系化された技術知へと一歩進む。

錬金術は、現代化学の基礎技術を多数残した。蒸留・濾過・結晶化、酸・アルカリ・塩の操作、実験器具(フラスコ、レトルト、炉)――これらは、手段として洗練された技術だった。

錬金術は、金を作ることには失敗した。しかし、物質世界を理解し、操作し、記録する方法を人類に残した。錬金術とは、科学が生まれる前に、人類が行った最大の思考実験だったと言えるだろう。


化石燃料の起源と局在

石油・天然ガス・石炭はいずれも生物由来炭素に起源を持つ。これは偶然ではない。地球上に炭素は豊富に存在するが、エネルギーとして使える形にまで「濃縮」された炭素は、自然界ではほとんど存在しない。それを可能にしたのが生物である。

地球誕生直後の炭素は、二酸化炭素(CO₂)や炭酸塩鉱物(石灰岩など)という安定で低エネルギーな形で存在していた。これはいわば「すでに燃え尽きた後の灰」である。この状態から自然に燃料が生まれることは、ほぼない。

生物、特に光合成生物は例外だった。光合成の本質は、CO₂+水→太陽エネルギー→炭水化物(高エネルギー炭素化合物)である。つまり生物は、太陽エネルギーを使って炭素を「還元」し、ため込む装置である。

石炭の形成

石炭は主に陸上植物が起源である。約3〜4億年前(石炭紀)、巨大なシダ植物や樹木が繁茂し、湿地で枯死→分解されずに堆積した。酸素が少ない湿地で、分解されないまま埋没し、長い時間と圧力により、泥炭→褐炭→瀝青炭→無煙炭へと変化する。

石油・天然ガスの形成

石油と天然ガスの起源は海のプランクトンである。微生物が死んで海底に沈み、酸素の乏しい環境で分解されず堆積し、地下数千m、熱(60〜150℃)と圧力で炭化水素に変化する。

形成に要する時間

化石燃料の生成には数千万年〜数億年を要する。植物やプランクトンの堆積に数万〜数十万年、埋没・続成作用に数百万年、熱分解(ケロジェン→石油・ガス)に数千万年である。現代文明(約1万年)とは比較にならない時間が必要であり、したがって化石燃料は再生不能資源である。

なぜ資源は局在するのか

化石燃料は地球上に均等には存在しない。その理由は以下に集約される:

  • 生物生産性が高かった古環境(大陸棚・内海・湿地帯)
  • 無酸素環境での保存
  • 適切な温度・圧力条件
  • トラップ構造(背斜構造・断層)

石油は軽く、流れる。そのため、母岩(生成場所)、貯留岩(多孔質の岩)、封圧層(逃げないフタ)という地質トラップが揃わないと、地表に抜けてしまう。この「たまたま」が、地球史の中で何度か起きた場所に、中東・ロシア・北米などの油田が集中する。

日本列島は、プレート境界に位置し、地殻変動が激しく、地層が壊れやすい。石油は「壊れない地層で、長期間じっとしている」必要があるため、日本では生成されても逃げてしまう。結果として、石炭は多少あるが、石油・ガスはほぼない。

この地質学的制約が、後の日本の産業政策とエネルギー戦略を大きく規定することになる。


日本と石油需要の歴史

資源に恵まれない日本がいかにして石油を必要とし、いかにしてその不足に直面したか。その歴史を時系列で追ってみよう。この過程は、当サイトの「日本インフラ史総覧:明治から現代にいたる国家基盤の形成」「戦前日本はどんな高等教育機関を築いたのか」で扱った近代化の文脈と深く関わる。

江戸時代には越後の「燃える水(原油)」は知られていたが、用途は灯火程度であった。明治初期の近代化は蒸気機関・軍艦の時代であり、石炭が主役で、石油はまだ補助的な位置づけだった。

自動車・航空機の登場により、海軍が重油化を進めた。石油は国家の生命線となった。

1930年代、日本の石油自給率はほぼゼロとなり、米国・オランダ領東インド(現インドネシア)依存が深刻化した。この状況が、後述する人工石油研究への国家的投資を促すことになる。

1941年、ABCD包囲網による石油禁輸が実施され、「石油がないから戦争になった」と言われる所以となった。この危機的状況が、人工石油研究を「やるしかない技術」へと変質させた。


人工石油研究

ドイツは石炭→液体燃料のフィッシャー・トロプシュ法(F-T法)を1920年代に開発し、ナチス・ドイツは1930年代後半から実用化に成功した。第二次大戦中、ドイツ燃料の半分以上を合成燃料が占めた時期もある。

しかし、技術的課題は明白だった:

  • 石炭1トンに対し得られる液体燃料は300〜400リットル程度
  • 巨大設備・大量電力・高価な触媒が必要
  • 爆撃に極端に脆弱
  • エネルギー収支が明らかに悪い(投入エネルギー > 得られるエネルギー)

日本は満州・朝鮮で石炭液化、松根油(松ヤニ由来)、アルコール燃料を試みた。しかし、効率が低く、エネルギー収支が悪く、戦争遂行には到底足りなかった。まさに「資源なき国家の必死の錬金術」だった。

イギリス:第一次大戦後に石炭液化研究を行ったが、平時ではコストが合わず縮小した。

フランス:国家主導で合成燃料研究を行ったが、植民地石油の確保で優先度が低下した。

アメリカ:1920年代から研究自体は継続したが、テキサスなどの安価な天然石油があるため、実用化は不要だった。

つまり、「やれるか」ではなく「やる意味があるか」で判断していた。

エネルギー収支の問題

実は、現場の技術者・化学者はかなり早く理解していた:

  • 石炭を一度ガス化する時点でエネルギー損失が大きい
  • 触媒反応も完全ではなく、副生成物が多い
  • 液体化しても「元の石炭以上のエネルギー」は得られない
  • 熱力学第一・第二法則は、すでに確立していた

「錬金術は成立しない」ことは、理論的に明白だった。

それでも研究が続いた理由は、比較対象が「ゼロ」だったからである:

  • 天然石油が入らず、輸入が途絶える状況
  • エネルギー収支が悪くても「ゼロよりはマシ」
  • 戦時は「採算」より「持続」が優先される

人工石油は経済技術ではなく、軍事技術だった。多くの国で、「平時:やらない、非常時:やるしかない」という認識が共有されていた。


人工石油研究――詳細年表と研究機関

日本がどのように人工石油研究に取り組んだのか、時系列と研究機関別に詳しく見ていこう。

時代出来事・技術
1910年代欧州(特にドイツ)で石炭液化・合成燃料研究が進展。日本の化学者・工学者が論文・報告を通じて把握。この段階では純粋に学術的関心と工業化学の一分野。
1913年ベルギウス法(石炭直接液化)ドイツで開発
1920年代前半東京帝国大学・京都帝国大学で燃料化学、石炭化学、触媒反応の研究が進む
1925年頃フィッシャー・トロプシュ法(F-T法、石炭間接液化)ドイツで開発
1930年前後日本海軍が人工燃料研究を本格化。陸軍も満州での石炭液化に着目
1933年満州国建国。満州炭鉱からの石炭を原料とした液化燃料研究が国策化
1937年日中戦争開始。燃料需要が急増し、人工石油研究が加速
1938年燃料国家動員法制定。人工石油製造が国家プロジェクトに
1939年海軍燃料廠が本格稼働。理化学研究所も研究参加
1941年石油禁輸。人工石油は「やるしかない技術」に。松根油採取も開始
1942-1945年各地で小規模プラント稼働も、生産量は需要に遠く及ばず
1945年終戦。人工石油研究は事実上終了
1950年代戦時の触媒・高圧技術が石油化学工業に転用される
1954年日本、原子力研究開始。人工石油で不可能だったエネルギー収支の壁を、原子力は超えた

主要研究機関と研究内容

機関研究内容特記事項
海軍燃料廠石炭液化(ベルギウス法系)、低温乾留、頁岩油最も実用化に近い研究。神奈川県高座郡に大規模施設
陸軍燃料本部満州での石炭液化、松根油採取満州国との連携。実用化は困難
東京帝国大学有機化学・触媒研究、高圧反応の基礎研究学術面での理論的支柱
京都帝国大学石炭化学、触媒反応機構戦後の石油化学にも貢献
理化学研究所国家総動員下で人工石油研究戦後は石油化学・高分子へ転換
住友化学・日本窒素工業的製造試験企業技術力の蓄積

日本の人工石油生産量は、最盛期でも年間数万キロリットル程度で、年間数百万キロリットルの需要には遠く及ばなかった。技術的には可能でも、規模・コスト・エネルギー収支の壁は越えられなかった。この経験は、戦後日本が「燃やす石油」から「使う石油」へと戦略を転換する重要な契機となった。


石油化学と合成化学の成立

人工石油という「錬金術」が限界に達した一方で、戦後日本は別の道を選んだ。

石油はしばしば「燃やすもの」として語られる。しかし、化学の視点から見た石油はまったく異なる。石油を燃やすのではなく、分解し、組み替え、新しい物質を創造する道である。

蒸留――沸点の違いで「分ける」

地中から採れる原油は、軽い分子、重い分子、直鎖・分岐・環状化合物がごちゃ混ぜになった状態である。このままでは使えない。そこで行われるのが蒸留だ。

常圧蒸留・減圧蒸留により、原油を加熱すると、分子量の小さいものから順に気化する:

  • LPG(家庭用ガス)
  • ナフサ(石油化学原料)← ここが重要
  • ガソリン(自動車燃料)
  • 灯油(暖房・航空燃料)
  • 軽油(ディーゼル)
  • 重油(発電・船舶)

石油精製とは「燃やす前の選別作業」である。

石油化学の出発点――分子を壊す(クラッキング)

この中で特別な意味を持つのがナフサだ。ナフサは、燃料としては中途半端だが、化学原料として極めて優秀である。

ナフサはそのまま使わない。熱と触媒で分解(クラッキング)する。主な生成物は:

  • エチレン(C₂H₄)
  • プロピレン(C₃H₆)
  • ブタジエン(C₄H₆)
  • ベンゼン(C₆H₆)

これらは合成化学の「積み木」になる。

プラスチック

  • ポリエチレン(レジ袋、容器)
  • ポリプロピレン(食品容器、繊維)
  • ポリスチレン(発泡スチロール、CD/DVDケース)
  • ポリ塩化ビニル(PVC、水道管、電線被覆)

合成繊維

  • ナイロン(衣料、タイヤコード)
  • ポリエステル(衣料、ペットボトル)
  • アクリル(セーター、毛布)

化学品・医薬品

  • 溶媒(洗浄剤、塗料)
  • 界面活性剤(洗剤、シャンプー)
  • 医薬中間体(各種医薬品の原料)
  • 農薬

現代の合成化学は、石油化学を基盤に成立した。

  • 触媒化学の飛躍的進歩
  • 高圧反応工学
  • エネルギー収支の厳密な評価手法

日本は石油を持たなかった。しかし、高度な蒸留技術、触媒技術、高純度分離、合成反応制御で、輸入原油から最大限の価値を引き出した。戦時の人工石油研究で蓄積された触媒技術・高圧反応技術が、ここで生きた。


まとめ

錬金術も人工石油も、「できないこと」を追い求めた点では失敗である。しかし、その過程で生まれた技術は、現代の化学・エネルギー科学の土台となった.

人工石油はエネルギー収支を誤算した失敗ではない。収支が悪いことは当時すでに理解されていた。しかし、差し迫った需要が判断基準を変えた。それは科学の敗北ではなく、状況判断の産物である。

現代の合成燃料(e-fuel、CO₂燃料)も、構図は同じだ:

  • 再生可能電力 + CO₂ → 液体燃料
  • エネルギー収支は明らかに悪い(電気のまま使う方が効率的)
  • それでも「航空機・船舶には液体燃料が必要」という制約がある

歴史は繰り返す。今度は「戦争」ではなく「気候変動」という別の差し迫った需要が、同じ問いを投げかけている。


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