GHQは何を目指して戦後の教育改革を行ったのだろうか

教育史・制度

時系列概要

時期出来事
1945年8月終戦
1945年10月GHQによる教育制度調査開始
1945年12月修身・日本歴史・地理の授業停止指令
1946年3月米国教育使節団来日・調査
1946年3月教育使節団報告書提出
1947年3月教育基本法・学校教育法公布
1947年4月六・三制(新学制)実施開始
1948年4月新制高等学校発足
1949年5月新制大学発足
1949年5月教育職員免許法公布

1. GHQ教育改革の目的

史料的根拠

1946年3月、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の要請により米国教育使節団が来日し、約1ヶ月の調査を経て報告書を提出しました。この報告書は戦後教育改革の基本方針となりました。

改革の核心

GHQの教育改革は以下を目的としました:

  • 排除対象: 戦前教育における軍国主義・極端な国家主義・戦争協力的価値観
  • 導入目標: 民主主義的価値観、教育機会の平等、個人の尊厳の重視

この改革は、戦前の軍国主義的教育を排除し、民主主義と教育機会均等を基礎とする新しい教育制度への転換を主眼とした政策です。


2. 戦前教科の廃止・改訂

具体的措置(1945年12月指令)

GHQは文部省を通じて以下の措置を実施:

  • 修身: 授業停止後、正式に廃止
  • 日本歴史: 軍国主義的記述の削除を条件に授業再開(一時停止後、内容改訂)
  • 地理: 同上(一時停止後、内容改訂)

重要な区別

  • 修身 → 廃止(教科そのものが消滅)
  • 歴史・地理 → 一時停止→内容改訂後再開(教科は継続)

GHQは戦前教育の軍国主義的内容を排除するため、修身を廃止し、日本歴史・地理については軍国主義的記述を削除する教科書改訂を実施しました。


3. 単線型学校制度(新学制)の基本方針

米国教育使節団の勧告内容

戦前の複線型制度(小学校→中学校/高等女学校/実業学校などへ分岐)を廃止し、以下を勧告:

  • 義務教育9年間(小学校6年+中学校3年)
  • 単線型制度(6-3-3-4制: 小学校6年・中学校3年・高等学校3年・大学4年)
  • 進路の早期固定を回避し、より長期間にわたって教育機会を保障

実施時期

1947年4月より新学制(六・三制)を段階的に実施開始。

米国教育使節団報告書に基づき、義務教育9年を基礎とする単線型学校制度(6-3-3-4制)が導入され、戦前の複線的制度から教育機会均等を重視する制度へ転換しました。


3A. 新制高等学校の発足

戦前制度との対比

戦前の後期中等教育(複線型構造):

  • 旧制中学校(男子、主に進学準備など)
  • 高等女学校(女子、良妻賢母教育)
  • 実業学校(工業・商業・農業など職業教育)

これらは性別・進路別に分断され、相互の転換が困難でした。

戦後の統合: これらを統合し、新制高等学校として単一制度に再編。

制度の成立

  • 法的根拠: 学校教育法(1947年3月公布)
  • 実施開始: 1948年4月、新制高等学校発足
  • 移行過程: 旧制中学校・高等女学校・実業学校が順次、新制高等学校へ転換
  • 位置づけ: 義務教育後の後期中等教育(3年間)

制度的特徴

  • 原則として男女共学
  • 普通科・専門学科(工業・商業・農業など)を同一制度内に設置
  • 修了により大学進学資格を付与(統一)

改革の意図

米国教育使節団報告書は、旧来の中等教育が社会的分断と進路の早期固定を強めている点を問題視し、後期中等教育段階でも共通の市民教育を重視する方針を示しました。

新制高等学校は、戦前の後期中等教育における学校種別・性別・進路別の分断を解消し、単一の制度のもとで後期中等教育を行うことを目的として1948年4月に発足しました。


3B. 新制大学の発足

戦前の高等教育構造(複線型)

戦前の高等教育は以下のように分断されていました:

  • 帝国大学・官立大学(エリート向け、研究重視)
  • 高等専門学校(医学・工学・農学・商学など専門職業人養成)
  • 師範学校(教員養成、中等教育機関)

これらは制度的に分断され、相互の移動が困難な構造(完成教育)でした。

新制大学の成立

  • 法的根拠: 学校教育法(1947年3月公布)
  • 本格発足: 1949年5月
  • 再編内容: 旧制大学・高等専門学校・師範学校などを4年制大学に統合・再編

制度的特徴

  • 学士課程4年制を標準とする
  • 一般教育(教養教育)の必修化(専門教育の前に共通教養を重視)
  • 各都道府県への国立大学整備: 既存の高等教育機関を統合し、各地域に国立大学を配置

改革の背景と目的

米国教育使節団報告書では、以下の問題点が指摘されていました:

  • 高等教育が一部エリート層に限定されていること
  • 専門教育が早期に細分化され、幅広い教養教育が欠如していること

新制大学は、これらの問題に対応し、以下を制度目的としました:

  • 高等教育へのアクセス拡大
  • 教養教育を基礎とした民主社会の担い手育成

新制大学は、戦前の分断された高等教育機関を統合し、教育機会の拡大と共通の大学教育(教養教育を含む)を通じた民主主義社会の担い手育成を目的として1949年5月に発足しました。


4. 教員養成制度の再編

改革の内容

  • 戦前: 師範学校(中等教育機関)が教員養成の中心
  • 戦後: 大学における教員養成へ移行

具体的経過

  1. 1949年5月: 新制大学発足に伴い、旧師範学校を教育学部等へ統合
  2. 1949年5月: 教育職員免許法公布
  3. 教員免許: 大学卒業を基礎とする制度へ移行

教員養成制度は、旧師範学校を新制大学(教育学部等)へ統合し、大学教育を基礎とする体系へ再編されました。


5. 改革内容と結果

改革の意図:

  • 教育機会の平等化
  • 義務教育の延長(6年→9年)
  • 後期中等教育・高等教育へのアクセス拡大

客観的結果:

  • 新制高等学校の設置により、後期中等教育への進学者が増加
  • 新制大学の設置により、高等教育へのアクセスが拡大
  • 結果として、高度な教育を受ける人口が増加

結果として高度な教育を受けた人口層が増加する構造が形成されました。


📚 主要参考史料

一次史料

  • 米国教育使節団報告書(Report of the United States Education Mission to Japan, 1946年3月)
  • GHQ/SCAP指令文書
  • 教育基本法(1947年法律第25号)
  • 学校教育法(1947年法律第26号)
  • 教育職員免許法(1949年法律第147号)

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