一般に人生は以下のようなサイクルで語られます。大人になるにつれて、選択肢は少しずつ減り「まあ、人生ってこんなものか」と思いながら毎日を暮らしています。でもなんかやらないといけない気がしています。博士=表現者なので。
人生のステージと心の変化
| 人生のステージ | 主な状況・出来事 | 気分・心の状態 | 代表的な感情・内面 |
|---|---|---|---|
| 幼少期 | 可能性が無限に感じられる | 軽やか・無邪気 | 万能感/期待/根拠のない自信 |
| 思春期〜若い成人期 | 得意・不得意が明確化される/比較される/進路選択を迫られる | 揺れる・不安定 | 焦り/劣等感/「全部は選べない」という諦観 |
| 社会人初期〜中期 | 仕事・家族・立場といった役割を意識して生きる | 緊張・責任感 | 義務感/忍耐/自己抑制 |
| 同上(負荷が高い時期) | 好きでない仕事も生活のために続ける/組織のために健康や生活を犠牲にする | 消耗・我慢 | 犠牲意識/疲弊/虚しさ |
| 中年期 | 前に出るより支える側へ/子どもや若者に託す | 落ち着きと違和感の混在 | 達観/諦め/空白感 |
| 中年期(分岐点) | 子どもを持てない/経験を次に渡せないという現実 | ひっかかり | 違和感/孤独感/未完了感 |
| 人生の再挑戦期 | 年齢に関係なく挑戦/転職・学び直し・表現/やりがいの追求 | 再点火・前向き | 希望/覚悟/納得感 |
| 回顧と継承の時期 | 失敗や回り道、矛盾した選択を振り返る | 静かな充足 | 受容/意味づけ/「これが自分の人生だった」という肯定 |
人生を「階段」と感じる心理 ─ 発達心理学の視点から
人生は「階段」のようだと言われます。
一段ずつ上がるごとに、見える景色は変わり、戻れる段は減っていく。
「まあ、人生ってこんなものか」と思いながら日々を過ごしつつ、
それでもどこかで引っかかる感覚が残る。
(例)
私の場合、それをはっきり意識したのは37歳のときだった。研究職を降りてからでしょうか。
以前なら迷わず選んでいた選択肢を、「今さら無理だろう」と自然に外している自分に気づいた。
この感覚は、単なる感傷ではありません。
発達心理学では、人生の段階が進むにつれて自己像が固定化していく現象として説明されます。
子どもの時代|可能性の広がりと万能感
幼いころ、世界は無限に広く感じられました。理由はなくても、「自分は何にでもなれる」と思えていた。
この感覚は、発達心理学でいう探索が制限されていない段階にあたります。
(例)
子どものころ、将来何になりたいかを聞かれて、最初はガソリンスタンドとごみ収集車だったんですね。ブルーカラー
の働いている姿がかっこいいなっと思ってました。ガススタの人にお願いして出光の帽子ももらったことがあります。小学校の自由研究が課題になるあたりからかな。こういう仕事を意識したのは。なんか得意だったんですよね。特誰から教わるわけでもないので人によって酷な課題だとは思いますが。市の大会でも表彰されてましたね。
エリクソンの理論では、この時期は「世界への信頼」と「自己効力感」を育てる段階です。
根拠のない万能感は、むしろ健全な発達の一部とされています。
若者の時代|選びはじめる(アイデンティティの形成)
思春期から若い大人にかけて、人は選ばされ始めます。得意・不得意、他人との比較、進路という現実。
ここで初めて、「全部は選べない」という制約を知ります。
小中学校には神童みたいでも、高校のあたりになるとそうでもないことに気が付きます。また、上には上がいることも。語学が絶望的に苦手だったのですね。進路に関しては第一志望のというわけではなく、地方の国立大学に入学します。初めて「自分には限界がある」と実感しました。
心理学ではこの時期を「アイデンティティ対役割混乱」と呼びます。
自分が何者かを定めきれない不安は、誰にでも起こる現象です。
大人の時代|役割を生きるという適応
社会に出ると、人生の中心は「役割」になります。
仕事、家族、立場。
期待に応えることが、評価や安心につながるからです。
大学院生のころもまあ順調に研究していたので、そんなに苦労はしなかったですね。逆にいうとテーマ設定をもっと冒険すべきだったとか、短期留学もしておくべきだったとか思います。
研究職になって、他大学にいくわけですが、まあ、大変優秀な人たちに囲まれることになります。論文の数、IF、獲得研究資金でも比較されるようになります。私も、「自分がどうしたいか」より、プロジェクトで「求められていることは何か」を優先するようになっていました。バットをしっかり振っていたか、次の仕事のためにバントしていたかのような状態でした。結局、自分は何がしたいのかわからなくなり、さらに年齢的のもいつまで任期の仕事をするべきか。そろそろ安定な仕事について普通の仕事をつくべきと思いました。
エリクソンの理論では、これは社会的に適応している状態でもあります。
ただし、役割と内面の価値観が乖離すると、後に歪みが出ることも指摘されています。
中年期|世代性と停滞の分岐点
中年期は、「次の世代に何を残すか」を問われる時期です。子ども、後輩、社会。
自分が前に出るより、支える側に回ろうとします。
そして、研究職をやめて、いろいろな仕事を経験しました。郷に入らば郷に従え、自分の挑戦よりも、周囲がうまく回ることを優先していました。生活の安定のためとそれが正しいと思いながら、どこかで息苦しさも感じていました。でも、数年で転職しているあたりなかなか割りきれなかったんしょうね。
心理学ではこれを「世代性(ジェネラティビティ)」と呼びます。
一方で、それが見いだせない場合、「停滞感」として現れます。
もう一度、挑戦したくなる理由
この停滞感は、失敗ではありません。むしろ、自己像を更新しようとする自然な反応です。
この挑戦は、若さゆえの無謀さとは違います。現実を知ったうえで、それでも選び直そうとする行為です。
私が「もう一度やり直したい」と思ってこのブログをしているのは成功したいからではありません。
「このまま終わる感覚」に耐えられなかったからです。なにかを残そうと思っています。表現者として。
振り返り、語るという行為
人生の後半、人は自然と過去を語り始めます。うまくいかなかったこと、遠回り、矛盾した選択。
心理学ではこれを、人生の物語化(ライフレビュー)と呼びます。自分の人生を一つの物語として統合する過程です。
まだ、そういう段階では自分はないとおもいますが。いやこんなブログをしていることがこの段階?
高齢になると同じ話を何度もするのは記憶力の問題だけではありません。同じ話を繰り返すのは、「これが自分の人生だった」と確定させる作業なのです。
親が何度も同じ昔話をするのを、煩わしく感じていましたけど。
今は、「自分の人生を確かめているのかもしれない」と思うようになりました。

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