1. パラドックス
子どもの数は減り続けているにもかかわらず、学習塾市場の売上はすこしまえまで堅調だった。一人あたりの教育投資額は増加し、塾のサービスは高度化・多様化した。進学指導に加え、STEAM教育、プログラミング、個別対応、不登校・発達障害への専門支援など、塾は「多様な学習支援サービス」へと進化した。
一方、大学では「学生が主体的に学ばない」という嘆きが絶えない。アクティブ・ラーニングを導入しても議論が深まらず、学生は発言しないという。企業は「大学で何を学んだか分からない学生」を採用することに苦慮している。さらに、生成AIの普及により、求める能力は「知識量」から「新しいツールへの適応力、課題設定力、試行錯誤する力」へと急速にシフトしている。
なぜ、学生の主体性は育たないのか?
この問いに対する答えは、個々の教育機関の努力不足ではなく、教育システム全体の不連続性にある。
2. 不連続性の構造
2-1. 各セクターは合理的に行動している
まず確認すべきは、塾も、学校も、大学も、それぞれが「間違ったこと」をしているわけではないという点だ。
塾の合理性: 塾は保護者と生徒の期待に応えている。受験という明確なゴールがあり、短期間で成果を出すことが求められる。そのため、「効率的に正解へ導く」「解法パターンを習得させる」指導は極めて合理的だ。少子化ものともせず、受講生一人あたりの塾費用は伸びており、親の教育熱が高いという市場環境では、この戦略は成功している。
学校の合理性: 高等学校では、生徒の「大学進学のため」というニーズに応え、試験範囲を全て終わらせるという思いから、一つの単元が終われば、すぐに次の単元に進むことが多くあった。進学実績が学校評価に直結する以上、この行動は合理的だ。
大学の合理性: 大学は「主体的学修」を掲げ、2015年度にはおよそ8割の大学が能動的学習の手法を取り入れた授業を実施している。制度改革は進んでいる。
しかし、これらの「個別最適」が、全体としては機能不全を生んでいる。
2-2. セクター間の断絶が生む「学習様式の非連続性」
問題の核心は、各教育段階が異なる学習様式を前提にしているにもかかわらず、その移行を支援する仕組みがないことだ。
塾・高校の学習様式:
- 明確な正解がある
- 効率性重視
- 教師/講師が主導
- 短期的成果(テスト、受験)が評価軸
大学の学習様式:
- 答えのない問いに向き合う
- 試行錯誤を重視
- 学生が主導
- 長期的成長(学修成果)が評価軸
この二つの様式の間には深い溝がある。にもかかわらず、「高校を卒業したら、明日から主体的に学べ」という前提で大学教育は設計されている。アクティブラーニングの失敗事例として、議論前提知識不足による浅薄な議論、思考訓練不足による発言しない状況、リーダー技能不足による独断専行などが報告されているが、これらは学生の能力不足ではなく、それまでの学習環境との不連続性に起因している。
2-3. 「主体性」を測定・評価できない制度設計
さらに根本的な問題は、教育システム全体が「主体性」を測定・評価する設計になっていないことだ。
入試制度の限界: 大学入試は依然として「知識量」「処理速度」を測定する設計が主流だ。総合型選抜などの試みはあるが、就職時にも大学の名前ではなく、大学で何を学び、何ができるようになっているかが重視されるようになるという変化に、入試制度の変化は追いついていない。
塾のジレンマ: 塾が「主体性育成」を標榜しても、その成果は入試合格率でしか測れない。自習型指導塾は生徒が主体的に学習を進めることが前提なので、ある程度の自習力が求められる。自習の習慣がほとんどない生徒の場合、学習を続けることが難しいという指摘が示すように、主体性育成と短期成果の両立は困難だ。
大学のジレンマ: 大学では、卒業・修了後も絶えず自ら学び、主体的に行動する人材を養成することが重要とされているが、成績評価は依然として「知識の再生産」を中心に設計されている大学が多い。
つまり、システム全体が「主体性は大事」と言いながら、実際には主体性を育て、測定し、評価する設計になっていない。
2-4. 少子化・AI時代が設計不全を顕在化させる
少子化とAIの台頭が、この問題を致命的な欠陥へと変えつつある。
大学ブランドの相対化: 2040年度以降、大学入学定員が現状のままならば、学生数は入学定員の8割程度しか埋まらない状況では、「有名大学に入ること」自体の価値が希薄化する。2024年時点で私立大学の約6割が定員割れしており、「大学に入る」だけでは差別化できない時代が到来している。
AI時代の能力要求の変化: 米国のハイテク大手企業による新卒採用は2022年と比較して50%以上も減少し、AIがエントリーレベルの仕事を代替し始めた。知識の保有だけでは価値を生まない時代において、「どう学んだか」が「何を学んだか」より重要になる。
3. 誰の責任でもない、しかし誰もが影響を受ける
この問題は、特定の誰かが悪いわけではないことだ。
- 塾は市場の要請に応えている
- 学校は制度の制約の中で最善を尽くしている
- 大学は改革を試みている
- 企業は採用基準を変えつつある
しかし、全体として見ると、各セクター間の接続が設計されていない。
塾から学校へ、学校から大学へ、大学から社会へ。各セクターは「次のセクターが何とかしてくれる」と暗黙に期待している。しかし、誰も「移行」の責任を負っていない。自立学習の習慣は主体性は一朝一夕には育たない。長期的・段階的な設計が必要だが、現在の教育システムにはその設計がない。
4. 必要なのは「インターフェース設計」
4-1. 問題の再定義
問題は「塾が悪い」「大学が悪い」ではなく、セクター間のインターフェースが設計されていないことだ。
4-2. 必要な設計要素
- 「教師主導→協働学習→自律学習」というグラデーションを設計する
- 各段階で「振り返り」「メタ認知」を組み込む
- 知識量だけでなく、「学び方の質」を測定・評価する仕組み
- ポートフォリオ、ルーブリック、形成的評価の体系的導入
- 高大接続だけでなく、「小中高大社」の連続性を意識した制度設計
- 各セクターが「次のセクターへの準備」を明示的に担う
- 短期的成果(合格率)と長期的成長(主体性)の両方を評価する仕組み
5. 結論:設計思想の転換が求められる
少子化とAIの時代において、教育の価値は「知識の伝達」から「学び方の習得」へとシフトしている。
しかし現在の教育システムは、各セクターが個別に合理的に行動した。塾は効率的に受験対策を行い、大学は主体的学修を求めるが、その間をつなぐ「橋」が存在しない。
「受動的学習から主体的学習へのグラデーション」を、教育システム全体に組み込む。各セクターが「次のセクターへの移行支援」を明示的に担う。主体性を測定・評価する仕組みを構築する。
今求められているのは、20世紀型の「知識伝達システム」から、21世紀型の「学習能力育成システム」への、根本的な転換である。


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