戦前の高等教育機関
日本の高等教育機関は、戦前からすでに明確な階層構造になっていた。
- 帝国大学
国家の研究・人材育成拠点として設立
→ 博士授与権、大学院、講座制(教授1:助教授1:助手2)を前提 - 旧制専門学校
実務教育・中等以上教育を担う
→ 完成教育。一部は帝国大学へ進学する「傍系ルート」も存在してはいた
戦後の学生改革と「大学化」
戦後、学制改革により多くの高等教育機関が「大学」になった。
- 工業専門学校 → 工学部
- 高等農林学校 → 農学部
- 旧制高校 → 教養学部・理学部の基盤
しかし、敗戦直後なので
敷地・教員数・予算は増えないまま大学化した。
その結果、
名称は同じ「大学」でも、
研究機関としての成熟度は大きく異なった
学部教育内容は「ほぼ横並び」
現在の工学系の学部教育では国際的な認証が進んでいる
- 国際的なエンジニア育成標準→ 大学教育 → JABEE認定
により、
学部カリキュラムは、どの大学でも大きな差はない
したがって、
学部4年間で自分の適性を確認し大学院で進学先を選ぶ
という選択は、制度史的にも合理的と考える。
「研究機関」としての規模の差
運営費交付金(基盤的経費)
国立大学の基礎体力を決める運営費交付金
- 東京大学:約720億円
- 京都大学:約500億円
- 東北・大阪・名古屋・九州・北海道:300〜400億円規模
一方で、
- 地方国立大の多くは 100億円台
これは単なる「規模の差」ではなく、
- 教員数
- 学生あたり教育研究費
- 図書館が購読できるジャーナル数
- 技術職員・URA・研究支援体制
すべてに直結する。
科研費(競争的研究資金)
科研費獲得額でも傾向は明確である。
- 上位10校の大半は旧帝大
「旧帝大だから科研費が取れる」
というより
「科研費が取れる体制が長年維持されている」
研究者養成
大学院進学率は
- 旧帝国大学: 約9割
- 地方国立大学:5〜6割程度
旧帝大は戦前から研究者を生産する装置を備えていた。
- 博士授与を前提とした
- 講座制による研究継承
- 附置研究所が多い
地方国立大学の大学院整備は遅れた
- 修士課程:1960年代
- 博士課程:1990年代
- 附置研究所も少ない
ノーベル賞
- 地方国立大学出身のノーベル賞受賞者は存在する
- 地方国立大学を主たる研究拠点としてノーベル賞を受賞した例はまだない。
「埼玉大からノーベル賞が出たから九州大より優れた研究機関だ」とは誰も言わない
研究機関として重要なのは
個人の突出した実績ではなく層の厚さ・継続性・再現性
地方国立大学の位置づけ
地方国立大学は地域の教育研究拠点
- 特定分野における研究拠点
- 実務・産業と近い研究
としての役割を担っている。
ただし、
日本の研究資源は旧帝大に強く集中している
という事実は、運営費交付金・科研費・博士数・国際共同研究で裏付けられる。
※AI支援によって記事を作成しました。


コメント