映画『リング』の貞子は、念写という超能力で恐怖の映像をビデオテープに焼き付けた。井戸の底から這い上がり、テレビ画面を通り抜けて現実世界に現れる――こんな設定は完全なフィクションのように思える。
しかし、実は19世紀末から20世紀中盤にかけて、世界中で「超能力」や「霊的現象」は真剣に研究されていた。しかも、関わっていたのは一流大学の教授や著名な科学者たちだった。ケンブリッジ大学、ハーバード大学、東京帝国大学――名だたる学術機関が、幽霊や念力の存在を検証しようとしていたのだ。
なぜ科学者たちは「オカルト」に本気になったのか。そして貞子という存在は、どのような科学史の文脈から生まれたのか。本記事では、忘れられた「超能力研究」の歴史を辿る。
1. 超能力研究の黄金時代――1880年代から1930年代
超能力研究が最も盛んだったのは、1880年代から1930年代にかけての約50年間だ。第一次世界大戦前後がピークとされる。
当時、科学は急速に発展していた。電気、電波、X線といった「目に見えない力」が次々と発見され、人々は世界の理解を根本から更新していた。心理学や神経科学も、ようやく独立した学問として確立されつつあった時期だ(科学が明らかにする日本の古代史で扱ったように、科学技術は社会システムと一体となって発展する)。
この状況下で、「意識」や「心」がどのように働くのか、そして物質世界とどう関係するのかは、まだ誰も答えを持っていない大きな謎だった。だからこそ、幽霊や超能力も「否定される前の未検証領域」として扱われたのである。
今日の目から見れば奇妙に思えるが、当時の文脈では、これは非常に合理的なアプローチだった。「見えないもの」が次々と実証されている時代に、心の不思議な現象だけを頭ごなしに否定する理由はなかったのだ。
2. 何が研究されていたのか――貞子の原型
超能力研究の対象は多岐にわたる。以下は代表的なテーマだ。
心霊現象と霊媒
自動書記(無意識に文字を書く)、死者との交信(テーブル・タッピング)、心霊写真、ポルターガイスト現象などが研究された。重要なのは、研究者たちは「幽霊がいるか」を問うのではなく、「これは錯覚か、詐欺か、それとも未知の心理現象か」を検証しようとしていた点だ。
超感覚的知覚(ESP)
テレパシー(思考伝達)、透視(遠隔の物体を見る)、予知、念力(物体移動)などが対象となった。貞子の「念写」――思念で映像をフィルムに焼き付ける能力――は、まさにこのESP研究の延長線上にある設定だ。
催眠と無意識
深い催眠状態での人格変化、記憶の抑圧と解離、トランス状態などが研究された。ホラー映画でよく見る「恐怖で人格が崩壊する」という描写は、実はこの時代の精神医学の知見が元になっている。
3. 実在した研究機関と団体
心霊研究協会(Society for Psychical Research, SPR)
1882年にイギリスで設立された、世界初の「超常現象を科学的に調べる組織」だ。ケンブリッジ大学の関係者が中心となって運営され、再現実験、トリック検証、厳密な記録という手法を重視した。これは「オカルトを信奉する団体」ではなく、「懐疑と検証の集団」だったのである。
アメリカ心霊研究協会(ASPR)
ハーバード大学の関係者が主導し、心霊写真や霊媒を徹底的に調査した。多くの詐欺を暴く一方で、説明のつかない事例も記録している。
4. 本気で関わった著名研究者たち
ウィリアム・ジェームズ(1842–1910)
「心理学の父」と呼ばれるハーバード大学教授。心理学と哲学の基礎を築いた人物でありながら、霊媒レオノーラ・パイパーを長年にわたって調査した。彼は「詐欺では説明できない事例がある」と慎重な立場を取り続けた。
カール・ユング(1875–1961)
精神分析の巨人。彼は幽霊を「集合的無意識の投影」として捉え、共時性(意味のある偶然)という概念を提唱した。ユングの理論は、ホラー表現における「心の深層から這い上がる恐怖」というモチーフに大きな影響を与えている。
ピエール・ジャネ(1859–1947)
フランスの心理学者で、解離性障害の研究で知られる。彼は霊媒現象を「人格の分裂」として説明しようとした。ホラー映画における「別人格」や「呪いの連鎖」という表現の源流は、ジャネの研究にある。
J.B.ライン(1895–1980)
デューク大学で超能力を統計的に検証しようとした研究者。彼はZenerカードを用いたトランプ実験で、ESPを数値化しようと試みた。「超能力を科学的に測定する」という発想の最初の実践者である(数字は嘘をつかない?で扱った統計の落とし穴は、すでにこの時代に認識されていた)。
5. 日本にもあった「貞子直結」の研究――千里眼事件
日本でも明治から大正期にかけて、超能力研究が行われていた。その中心人物が福来友吉(1869–1952)である。
福来友吉と念写の発見
福来は東京帝国大学助教授(教授ではない)として、「千里眼」と「念写」を研究した。念写とは、思念によって写真フィルムに画像を感光させる能力のこと。1910年12月、被験者の長尾郁子の実験中に偶然発見され、福来はこれを学術論文として発表した。
千里眼事件の悲劇
しかし、この研究は悲劇的な結末を迎える。被験者の御船千鶴子は1911年1月28日に服毒自殺し、長尾郁子も同年3月26日にインフルエンザで死亡した。二人の死は、超能力研究が被験者に与える心理的負担と、社会からの激しい批判の重さを物語っている。
その後、福来は別の被験者である高橋貞子(1913年以降)と実験を続け、1913年に『透視と念写』を出版した。しかし同年10月に休職命令を受け、1915年に東京帝国大学を辞職に追い込まれた。この追放により、「変態心理学」という分野自体が日本の学界から排除されることになる(戦前日本の高等教育機関で扱ったように、戦前の帝国大学は国家主導の人材育成機関であり、異端的研究は容認されなかった)。
貞子との関係
『リング』の作者・鈴木光司は「モデルはいない」と述べているが、映画版での「千里眼事件」の設定は明らかに福来友吉の研究をモデルにしている。そして、名前の「貞子」は高橋貞子から着想を得たとされる。つまり貞子は、実在の念写研究と、その悲劇的な歴史を背景に持つキャラクターなのだ。
当時の日本では、西洋科学の急速な導入と、仏教・神道といった伝統的世界観が交錯していた。催眠術ブームも起こり、科学と神秘の境界は今よりもはるかに曖昧だった。
6. なぜ超能力研究は衰退したのか
理由はシンプルだ。再現性がなかったのである。
何度実験を繰り返しても、統計的に有意な結果は得られなかった。トリックが次々と暴かれ、心理学と神経科学の進展によって、多くの現象が「錯覚」「暗示」「記憶の歪み」「詐欺」で説明可能になった。
1930年代以降、超能力研究は次第に学術の主流から外れていく。ただし、これは研究が「無駄だった」ことを意味しない。要素還元アプローチとシステム科学で論じたように、科学の発展には「失敗から学ぶ」プロセスが不可欠だからだ。
7. 超能力研究が科学に残したもの
超能力研究は失敗したが、その過程で以下のような重要な方法論や概念を生み出した。
実験心理学の発展、二重盲検法(実験者も被験者も条件を知らない状態での検証)、統計検定の洗練、プラセボ効果の研究、無意識の科学的理解――これらはすべて、超能力を検証しようとする過程で磨かれた技術である。
つまり、オカルトは科学を鍛える踏み石だったのだ。なぜ優れた技術でも社会では失敗するのかで扱ったように、科学技術は社会システムと相互作用しながら発展する。超能力研究の「失敗」も、そのプロセスの一部だったのである。
8. 貞子という存在の正体――科学史的に読み解く
では、貞子とは何者なのか。科学史の文脈で読み解けば、彼女は次の要素が融合した存在だと言える。
心霊研究(幽霊と霊媒)、無意識研究(抑圧された記憶と人格の分裂)、メディア不安(映像技術と電波への恐怖)、そして科学への不信(世界を説明しきれない科学への疑念)――これらすべてが、一人の少女の姿を借りて具現化したのが貞子なのである。
彼女は「科学が世界を説明しきれないかもしれない」という、近代人の根源的な不安そのものだ。写真・録音・映像といった新技術が「見えないものを記録する」ようになったとき、人々は「ならば幽霊も記録できるのではないか」と考えた。貞子は、その不安が形を取ったものなのである。
おわりに――なぜ今、この歴史を振り返るのか
超能力研究の歴史を振り返ると、科学とオカルトの境界がいかに曖昧で、時代とともに変化するものかがわかる。19世紀末の科学者たちにとって、幽霊や超能力は「まだ解明されていない現象」だった。今日の私たちが当然視している科学的知見も、100年後には同じように見直されているかもしれない。
そして、貞子のようなホラーキャラクターは、単なる恐怖の象徴ではない。彼女は、ある時代の科学的好奇心と、その挫折の記憶を宿している。映像メディアを通じて呪いを伝播させるという設定は、世界と日本の交通技術の発展で扱ったメディア技術の発展と、それがもたらした社会不安を反映している。
現代では、AI、脳科学、量子力学といった新しい領域が、かつての超能力研究と同じような位置にある。「意識とは何か」「AIは心を持つのか」「未来は予測可能か」――これらの問いは、形を変えた「超能力研究」なのかもしれない。現代社会を生き抜くための思考のOSで論じたように、科学リテラシーとは知識の暗記ではなく、こうした問いに向き合う姿勢そのものだ。
貞子の物語は、過去の遺物ではない。それは、科学の限界と可能性をめぐる、終わりなき対話の一部なのである。
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